凄ノ王

水野重康



「凄ノ王」「手天童子」の後を引き継いだ形で、今から20年程前に「少年マガジン」に連載されていました。

「凄ノ王」は数ある「永井豪」の作品群の中でも最大の規模を誇る巨大な物語だったのですが、そのあまりの規模の大きさに、作者自身も制御不能の状態になり、「未完」の形をとらざるを得なくなりました。
しかし、読者側の強い要望により、「小説」の様な形で「続編」は書き連ねられていきましたが、1996年にその名も大袈裟な「超完全完結版」と言う形で「コミックス化」されまして、一応、物語の決着は付けられた形になったのですが、しかし、真の意味での「完結編」と言う訳ではありませんで、今もって、時折、書き加えられた形で「大完結編」に向けて、物語が水面下で進行中と言う、巨大な規模のコミックスです。
そして、この物語は「知る人ぞ知る」の様な作品でして、あまり「ポピュラー」なものではありません。
従って、この物語に限り、大まかなストーリーを記します(私は本当の所はストーリーを記すのはあまり好きでは無いのです・・)。

遥か数万年以前、太古の理想郷と言われた「高天原・タカマガハラ」は「魔神・凄ノ王」の攻撃により滅亡した。
時は移り、その危機は再びやって来た。宇宙最大の「魔」・「ヤマタノオロチ」が数十億年の彼方で復活。これに呼応するかの様に「魔神・凄ノ王」の胎動が始まった。
「凄ノ王」とは「邪悪なエネルギー」の塊であり、一人の人間を媒体として誕生する。
「善なる心」満ちれば「英雄王真神・スサノウノミコト」が降臨し、「邪悪なる心」に充たされれば「暗黒の破壊魔神・凄ノ王」が誕生する。主人公「朱紗真悟」はその媒体である。
「正邪の葛藤」は続き、悪計に嵌った真悟の体から伝説の魔神「凄ノ王」が誕生し、その瞬間、地上は「地獄図」と化した。
「英雄王真神・スサノオウノミコト」降臨せし時、「天叢雲剣・アメノムラクモノツルギ」と成るべく運命付けられた「美剣一族」は「高天原」最大の超戦艦「天浮船ラン・グーン」を起動させ、「魔神・凄ノ王」との決戦の地へと向かった。
しかし、その時、「凄ノ王」を放出して「魂の抜け殻」となった真悟の「魂」が復活し、「英雄王真神・スサノウノミコト」が降臨した。
其れと同時に、全宇宙のあらゆる所で「魔」が復活し、それらは導かれる様に「銀河系宇宙の太陽系・地球」へと向かって行った。
「凄ノ王」との最後の戦いの場を「火星付近」に求めた「ラン・グーン」は「凄ノ王」と縺れ合いながら「火星の古代遺跡」へと引かれて行った。
この「古代遺跡」こそは対「凄ノ王」の最終兵器として「高天原」の先人達が火星に設置した「時の棺」であった。
「時の棺」は作動し、さしもの「魔神・凄ノ王」も「光の粒子」となって消えて行った。
地球には「光明神」の眷属達が集結し、超戦艦「ラン・グーン」も帰還した。
しかし、宇宙最大の魔「八岐大蛇・ヤマタノオロチ」は星雲をふっとばし、恒星を噛み砕きながら一路「地球」へと向かう。
迫り来る「魔」の大軍団との最後の対決の時は近付く・・。

とまあ・・。私めがチョイと脚色した部分もありますが・・、大体この様なストーリーです。
ここまでが長くなってしまいましたが、これが「前振り」です。

この「凄ノ王」の物語は本来は「未完」だったのですが、1996年に「完結編」が出版され、物語は「ひとまず大団円」の形を採る事が出来ました。
しかし、本当の意味での「完結編」には程遠く、作者の「永井豪」の気が向いた時に新しい展開の形でこの「続編」が世にでるかもしれません。
前作の「手天童子」が「きれいにまとまった」話だったので、尚の事、当時は「未完」と言う処が大変気になるところでした。

物語は「完結編」の一巻を持って、何となく「辻褄」が合う様になってはいますが、これは、「何となく合っている・・」だけの事でありまして、よく読むと「あっちでボロボロ・・こっちでボロボロ」の状態で、とてもとても「完結編」と呼べるものではありません。

しかし、「魔神・凄ノ王」の退治方(?)は非常にユニークです(ひょっとしたら、どこかのSF小説からパクってきたのかも知れません・・)。
そもそも、「凄ノ王」とは何か?
・・と言うことですが、「完結編」の一巻では以下の様に設定されています。
遠い遠い遥かなる昔・・。どこかの世界で「生」を受けて暮らしていた人間たちの「満たされぬ魂の集合体」であり、色々な理由により「恨み」を持った「憎悪」や「怨念」で凝り固まった、実体の無い「邪悪な精神エネルギー」の存在(怪物)・・。
では、「時の棺」とは何か?・・と申しますと。
「特殊な空間に作用するタイムマシーン」なのです。
「憎悪」や「怨念」で固まった「満たされぬ魂」を癒し慰め救えるのは「悠久の時の流れ」だけなのです。
正しく「時間が解決してくれる・・」と言う奴ですね。

「特殊なタイムマシーン」である「時の棺」に放り込まれた「凄ノ王」はこの様にして、その一つ一つの「魂」は癒され、「憎悪」や「怨念」はときほぐされ、「安らぎの光の粒子」となって消滅して行きます。
このシーンではどう言う訳か「ゴジラ」の挿入曲である「安らぎよ、光よ、かく返れかし・・」と言う感じが私には思い出されました。
さてさて、ここで大事な事は、「凄ノ王」が決して「ゼウスの降臨」式に(※後述)、「超人的な力」や「強大な力を発揮する新兵器」の類により退治(?)されるのではない・・と言うことです。
「凄ノ王」とは何か?・・と言うことを設定しておいて、その対処方として「時の流れに癒される」と言う究極的のものを持ってきたと言う処が、理にかなったうまいところ・・なのです(あまりにもうまいからパクリじゃないか・・と思うのです)。
つまり、「三次元空間」に存在している限り、いかなる「悪」、例え「絶対悪」と言えども「時の流れの終末点」に於いては、必ず「癒されてしまう・・」と言うことなのです。
なまじに「英雄王真神・スサノオノミコト」が「魔神・凄ノ王」をその強大無比な「光」の力により「封じ込める」事が出来たとしても、それは、「その時だけの、むなしい解決」の方法でして、「超人の力」を借りる事無く「自らの力」で「悪」を滅ぼす・・。と言う理想的な結末となっているのです。
余談ではありますが、この考え方は「バリ島」の伝説にある「バロン」と同じですね。最後には島民達の「力」で「魔女・ランダ」をやっつけると言う部分が・・。
そして、「手天童子」と同様に「やさしい終幕」を描いて「完結」としたのは実に良い事なのです。

あまり知られてはいませんが、「凄ノ王」は「永井豪」の作品群の中でも「強大な悪」を描いて、傑出した作品なのです。

※「ゼウスの降臨」
ギリシャ悲劇の一つの形。
悪人に追い詰められて窮地に陥った主人公が、必死に「大神・ゼウス」に助けを求めると、それに答えて「大神・ゼウス」が悪人たちの前に現れて、「神を恐れぬふらちな奴め、成敗してやる・・」とか何とか言って、得意の「電撃」を放って、「アッ」と言う間に悪人たちをやっつけてしまい、感激に震える主人公たちが「有難うございます・・ゼウス様」と言って「神々」を讃えると言う、所謂「究極のドンデン返し」の作り方のこと。
・・で、これと「ソックリ同じ」なのが「歌舞伎十八番」の「関羽」です。但し、「関羽」はわざわざ海の彼方から「馬」にまたがってやって来ますがね・・。
洋の東西を問わず、同じ様な事を考えるものである・・と言う例であります。

「ゼウスの降臨」は、いかなる物語の展開になっても「物語の展開上に必要な一切の伏線を必要とする事無く一挙に解決してしまう方法」でありまして、非常に安直な解決策として、今でもよく使われている方法です。
例えば、「宝くじに当たって大金を手にする」「親切な人が急に出て来て援助をしてくれる」「敵方の親分が死んじゃった」・・とかまあ色々ありますが、元を正せば全部この「ゼウスの降臨」です。
言ってしまえば、この方法は「待ってました!!」とばかりに拍手されて非常に人気があり、物凄く「大衆受け」しやすくて、作る側もついつい使いたくなってしまうのですが、使うと「ドンドン堕落してしまう」ので、「作家」を志す者は使ってはいけない・・所謂、「禁じ手」の一つなのです。



2003年12月


(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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