狸御殿について

水野重康


「狸御殿」は「木村恵吾」監督によって創作されたもので、「オペレッタ喜劇」と呼ばれて大ヒットしたシリーズです。
これには、「狸御殿」「歌ふ狸御殿」「春爛漫狸祭」「花くらべ狸御殿」があり、最終作「初春狸御殿」へと連なります。
年配の映画好きの人ならば、「狸御殿」と聞いただけで必ずニヤニヤしながらウンウンと頷くものでした。
・・・と言うのは、ごく普通の評論家でして、「狸御殿」の真の意味はもっと別の処に有ったのです。
以下は、日本映画史というよりも、「芸能史」に残る「狸御殿」の真骨頂であります。
「狸御殿」の極めつけは、何と言っても「歌ふ狸御殿」です。
宝塚出身であり、「宮本武蔵」で極めつけの「お通」・永遠の「お通」を演じた「宮城千賀子」(余談ですが、「お通」のイメージの元になっているのは、この宮城千賀子の「お通」です)を主役に据えて撮ったのが「日本映画史に残る」と言われる「水もしたたる若衆姿」の「狸吉朗」でした。
これが、ものすごい大当たり。
「宮城千賀子」と言えば「お通」か「狸吉朗」と言われる位の終生の当たり役となりました。
早い話が「ショーン・コネリー」の「ジェームス・ボンド」みたいなものですね。
宝塚出身の「宮城千賀子」は映画出演と並行して、自分が座長になってこの大当たりの役を舞台で演じつずけました。
この事が、「狸御殿」の創作者「木村恵吾」の逆鱗にふれ、告訴ざたになってしまいました。
「木村恵吾」にとっての「狸御殿」の「狸吉朗」が一人歩きして、「宮城千賀子」=「狸吉朗」に変化してしまったからです。
「木村恵吾」は告訴と同時に新しい「狸吉朗」を作り出そうとしました。これが、「松竹少女歌劇団」出身の「水の江滝子」による「花くらべ狸御殿」です。そして、今度は「狸吉朗」ではなくて「黒太郎」でした。
しかし、あまりにも、「宮城・狸吉朗」が強烈だった為に、さしもの「水の江・黒太郎」も影が薄くなってしまいました。
つまり、「狸御殿」シリーズは、これ、紛れもなく映画の話なのですが、有名になってしまったのは、「宮城千賀子」の演じた「狸吉朗」その人(?)だったのです。



2003年6月

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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