「ビリー・ワイルダー」・1

水野重康


「ビリー・ワイルダー」の事・1

今までどの文献にも無かった様な話が入っていますが、これは、私の師匠に教えてもらったぶぶんでもあります。
師匠の言葉を思い出しながら書いてみました。
長文です。

「ビリー・ワイルダー」はオーストリア生まれです。
実はこの事が、巨人「ビリーワイルダー」の本質を語る上で、かなり重要の要素となっています。
私が「ビリー・ワイルダー」の大出世作「サンセット大通り」を見たのは封切からかなりの時間が経っていた頃で、「情婦」の上映に併せて「麗しのサブリナ」「サンセット大通り」の3本立てで上映した時でした。
以前にもチョイと書いた事がありますが、私の住んでいた所の映画館は今から考えるとデタラメな上映形式を取っていたので、この様な事も可能でした。
この3本の内「麗しのサブリナ」は全く異質の趣が有ったので、まだ子供だった私はこの3本の監督が同一人物だとは当時、想像だにしませんでした。
この二面性ともいえる映像表現が実は全く同じ根幹から出ているのだと気づいたのはこのもう少し後の事でした。

さて、話は遡ります。
第二次大戦中「ヒトラー」の手を逃れるべく「新世界・アメリカ」に渡った「ビリー・ワイルダー」はアメリカの市民権得ても尚「英語」を話そうとしませんでした。
「話せなかった」のか、それとも「話そうとしなかった」のかどちらでしょうか?
実は、両方なのです。
人にもよりますが、基本的に「オーストリア」生まれの人は、英語で苦労します。
多くは、苦労して英語に馴染んでアメリカに溶け込みます。
例えば「アーノルド・シュワルツエネガー」も「オーストリア」の生まれでして、この人も「英語」では本当に苦労しました。
しかし、「ビリー・ワイルダー」は「シュワルツエネガー」と異なり「英語」を拒否する事により、逆に「アメリカの苦悩の根源」を掘り起こそうとしました。
「英語」を「話せない」「話そうとしない」・・は同じ一つの根幹から出ている、「全くの異質物」の様に見える二つの顔だったのです。
「英語を話そうとしない」のは、妥協知らずの「ガンコ者」だからです。
一度決めたら、なかなか変えない、その代り「いつもニコニコ」と言う円満な人柄でして、嫁さん(オードリー・ヤング)がスーツ・ネクタイをする様に頼んでも決してこれを着ず、俗に「ワイルダー・スタイル」と言われる「オープンネック」「ショートスリーブのスポーツシャツと帽子」でず〜ととうしてしまい、最後にはこれが「トレード・マーク」になってしまった・・と言うのは有名な話です。
それにつけても、「ビリーワイルダー」の作品の出演者ときたひには、揃いも揃って「クセ者」ぞろいです。
特に、「サンセット大通り」ときたら「グロリア・ガースン」に「エリッヒ・フォン・シュトロハイム」でしてこれに「ウイリアム・ホールデン」が加われば並みの監督ならば逃げ出してしまいたくなる様な人選です。
「シュトロハイム」は「映画史上の10人」の中に入る鬼才でして「怪物」を通り越して「魔人」と言われています。
この後の、「ジャック・レモン」「シャーリー・マックレーン」「ウオルター・マッソー」にしても、まあ、大変な「玉」ばかりでして、この様な物凄い連中ばかりを相手にして来たのです。

さて、「ビリー・ワイルダー」と言えば「アパートの鍵貸します」(これは名作です)の様な「風刺喜劇の大御所」みたいに思われており(事実そうなのですが・・)ますが、しかし、しかし、それだけがこの「巨人」の全てではありません。
「ビリー・ワイルダー」をたった一言で言い表すと・・。
「アメリカに住むアメリカ人のアウトサイダー」です。
自らを「傍観者」の立場に置き、「アメリカの恥部」を冷徹に描き、時には「皮肉」と「ユーモア」の様に捕らえながら、それでいて、常に鋭く切り込む事を忘れない・・と言う形式を取っています。
映画好きの多くの人は(年配の方は除く)大抵「七年目の浮気」とか「アパートの鍵貸します」から「ビリー・ワイルダー」の世界を見ているのですが、これら「風刺喜劇」の以前の顔がこの「巨人」にはあります。
冒頭書きました通り、二面性の内の片面(風刺喜劇)が始まったのは「麗しのサブリナ」からです。
それ以前は違った顔を見せていたのです。
私は、幸運と言えば本当に幸運にも「サンセット大通り」「麗しのサブリナ」「情婦」の三本を一度に見ると言う処から入っています。
それで、兎にも角にも「ビリー・ワイルダー」を知るが為には「サンセット大通り」です。
それ以前にも色々な作品を残していますが、何といってもこの作品から「ビリー・ワイルダー」は始まるのです。
内容は字数の都合も有りますので省略いたしますが、どこかで、この後世に残る傑作を見ていただきたいと思います。
「熱砂の秘密」「失われた週末」「サンセット大通り」「第17捕虜収容所」「翼よ!あれが巴里の灯だ」「情婦」と続く「社会派」面とそれに重なる様に「麗しのサブリナ」「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」「フロントページ」へと進行して行く「風刺喜劇」の面とがあります。
どうして、こう言う形になるのかと申しますと、映画監督と言うのは、どうも最後には「人間喜劇」を描いてみたい・・と、思うらしいのですね。
「ビリー・ワイルダー」は比較的早い時期からそこへシフトして行った様なのです。
そして、たまたま自分自身に「二面性」のようなもの・・が有った為に、ためらいも無く「風刺喜劇」の方向へ進んでいったものと思われます。
但し、前述の様にこの「二面性」は「根幹が同じ二面性」でありまして「光」と「影」の様な全く異なる「二面性」ではありませんこれが「ビリー・ワイルダー」の特徴です。

ここまでが「ビリー・ワイルダー」の事・1・・・です。
「2」は私の大好きな「情婦」について、「3」は「ジャック・レモン」を中心とした「風刺喜劇」の事を書きます。
是非、御読みください。



2003年11月

続きを読む ビリー・ワイルダー・2

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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