色彩映画・2

ご質問にお答えいたします

水野重康


「MGM」の超大作「風と共に去りぬ」の大成功により「新分野」として「カラー映画」が認知されましたが、しかし、「モノクロ映画」から「カラー映画」への移行は口で言う程容易いものではありませんでした。
当時の「映画関係者」の「カラー映画」に対する考え方はおおよそ次の様に分れていました。

)「新技術」としていち早く取り入れ様と試みた、所謂「進歩的」な考え方の人々
)「モノクロ映画」に浸りすぎてしまい、なかなか「カラー映画」に飛び込めなかった人々
)まだ「未完成状態(当時は・・)」の「カラー映画」に対して「取敢えず、様子を見て・・」と考えた人々

)は「監督」が「進歩的」と言うよりも、製作側が「カラー映画」を「新しい市場」と考えて、積極的に導入して行ったものです。
製作者に指名された監督はフイルム会社と相談しながら、試行錯誤の実験(発色状態等)を繰り返しながら「カラー映画作品」に仕上げて行きました。
「監督側」の考え方としては「実験的映画」に近いものがあるものの、「現代の実験映画」とは大分、趣を異にしておりまして、「製作者側」の指名した「カラー映画」の監督は結構、「名の通った」人が多く、所謂「実力派」の監督が起用されていました。

)は「モノクロ映画」がほぼ完成状態に在った為に、この分野で「芸術家」を名のっていた、所謂「巨匠」達でした。
この人たちは、例えば「光と影」や「画面構成」に「完成した映像美」を見出しており、「モノクロ映画」をさらなる次元へと昇華発展させて行きたい・・と考えていた人達でもありまして、「分ってはいる・・」のですが、なかなか「新分野」の「カラー映画」に手を出せないでいる人達でした。
所謂、本当の意味の「巨匠」が沢山おりました。

)は、何を隠そう当時の「映画」に携わる人の九割がこれです。
つまり、それほどまでに、当時の「カラー映画」と言うものは「生まれたばかりの赤ん坊」の様な状態だったのです。
「積極的に取り組む」のが無理とも言える状況下に在ったのです。
では、何が問題だったのか・・と申しますと、以下の事柄が挙げられます。

)カラーフイルムの問題
)撮影機器の問題
)「カラー映画」そのものに対する問題

)は「色彩映画・1」でも述べましたが、「発色状態」等の問題が有りまして、「どこまで許容するか・・」と言う「上映時の商業的問題」が存在していました。
日本映画で言う処の「総天然色」等と言う表現は、全くの「誇大妄想的表現」でして、現実は「まだまだ・・」と言う処でした。

)はこれが以外に有ったのです。
当時の、「アメリカ映画界」に於いては「カメラ用レンズ」は大変な「特注品」でした。
「モノクロ映画用」の「単なるガラスレンズ」ではダメだ・・と言う事が分ってきたのです。
「レンズの性能」が「フィルムの発色」に大きな影響を及ぼす事が分り、「ガラス面に特殊なコーテイング」を施したレンズが撮影機器として使われる様になりました。
この事で一例をあげますと、例えば、日本の「ペンタックス」(旭光学・今は言わないけど)のレンズに「smc」と付いていますが、これはその名も大げさな「スーパー・マルチ・コーテイング」の略です。
かように、「カラーフイルム」に対する「カメラメーカー」は「レンズのコーテイング」で苦労をしている訳であります。
そして、この「カラー映画用のレンズ」を使用して「カラーフイルム」に発色させた時、ある事がわかってきたのです。
それが、次の問題です。

)「情報量の増大」
現在までの「映画」と言うものは、言葉を変えると「脳を騙し続けているテクニックの歴史」なのです
「その様に見える」「その様に聞こえる」「その様に感じる・思う」「いかにして本物らしく、いかにして本物以上に思わせるか・・」が勝負です。
「モノクロ映画」は正にそれだったのです。

視覚的に「モノクロ」の世界は「正常世界」に於いては「存在しない世界」である為に、「モノクロ映画」と言うものは「脳」の方で勝手に「まあ、この様なものでしょう・・」とか「おお!素晴らしい!」とかの「より良く・・大甘に」解釈してしまうものでして、「モノクロ映画」にしてみれば「過分なお褒めをいただきまして・・」と言いたくなってしまう様な事柄なのです。
「光と影」と言うものが「モノクロ映画」最大の武器なのですが、これは「モノクロ映画」に最初から備わっている部分でして、これを最大限に活用している訳であります。

また、「光と影の映像」の世界へ入ったが最後、そこには「カラー映画」には絶対に無理と思える「映像美」が存在しており、簡単にこの「映像美」は求められるのです。
そして、「モノクロ映画」は「カラー映画」よりも情報量が少ないのです。
「色」が付いたと言う事のそれだけでも「情報量」は飛躍的に増えるのですが、この「少ない情報量」の世界で確立されていた理論等が、そのまま「情報量の多い世界」で通用するか・・と言うことです。

ここで「カラー映画ではこの撮影は出来ないだろう・・」と言わしめたのが「グレッグ・トーランド」の「パン・フォーカス理論」です。



2003年12月

続き「色彩映画・3」を読む

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(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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