色彩映画・1

ご質問にお答えいたします

水野重康


「田中さんからのご質問」
映画がカラー主流になってゆく過程の事です。
カラー映画への移行時、混迷期があったのでしょうか。
当時の映画人は、カラー映画に抵抗があったのでしょうか。
それとも、ただ単に発展途上の技術に手を出さなかっただけでしょうか。
あるいは、他に何か事情があったのでしょうか。
 
上記の質問は、私の勘違いでしょうか。
私が勝手に時間が掛かったと思い込んでいるだけでしょうか。
映画は、何の問題もなく、スムーズにカラーに移行していったのでしょうか。

映画フィルムの「カラー化」の話は、本来ならば1887年に「ジョージ・イーストマン」がセルロイドによるロールフイルムを発明した場面から展開しなくてはなりませんが、それでは余りにも「前振り」の長い話になってしまうので、時代をさらに進め、「カラーフイルム」が使われだした辺りから書いて行きたいと思います。

特に、アメリカの「カラー映画」(正式名称は、色彩映画と言います)を中心に述べてみましょう。

アメリカに於ける「色彩映画」の歴史は「テクニカラー」社「イーストマン・コダック」社の技術戦争の歴史でもあります。

「テクニカラー」の最初の商業的技術は「三色法」といいます。
「三色法」と言うのは、「三本のネガに三色分解して、この後に、色として再合成してプリントする方法」でして、「手間」と「金」がやたらと掛かる、重厚でめんどうくさいシステムなのがとにかく欠点です。

話は横に反れますが、この技術の変形がカラーTVに於ける「クロマトロン方式」です。
「クロマトロン方式」と言うのは、「赤」「青」「緑」の三原色をそれぞれ一本ずつの「電子銃」に受け持たせて、この三本の「電子銃」から放射される「色」をブラウン管上で合成させると言うもので、厳密には「色のにじみ」が断ち切れないものです。
所謂、「一銃一光線・ワンガン・ワンビーム」・・なわけです。

これに対抗して「ソニー」が創り出し「世界のソニーとしてソニー大躍進」の元になったのが「トリニトロン方式」です。
これは「赤」「青」「緑」の三原色を一本の「電子銃」から放射して、ブラウン管上に「色」を合成させるもので「一銃三光線・ワンガン・スリービーム」・・と言われています。
「三つの銃で三発の弾丸を一つの的に当てるよりも、一つの銃から発射される三発の弾丸の方が確実に一つの的に当たる・・」と言う訳でありまして、この世界特許「トリニトロン方式」は「ブラウン管型TV」においては正しく「無敵の存在」なのです。

さて、その様な訳で有りまして、「テクニカラー」の「三色法」は種々の問題をその当時から抱えていたわけです。

しかし、「日進月歩」の改良により、著しい進歩を遂げる事になりました。
「鮮鋭度や発色効果の改良」「感光度の増大」がそれです。
「テクニカラー」の技術的躍進の元となった映画が「MGM」と「テクニカラー」が社運を賭けて製作した「風と共に去りぬ」です。

映画は成功し、「カラー映画時代」の到来を予感させるものとなりましたが、まだまだ、難問が残っていました。
「テクニカラー」の撮影機は非常に大型であり、機動性に欠け、撮影場所やシーンを限定してしまう・・と言うことです。
「カメラ」をデン・・と据え付けて、そこで撮るしか方法が無い、撮影機を持ち込めない場所の方が多い・・と言うことです。
第一、大変に高価だったのです。
この時、全く別の場所で「テクニカラー」社の思いも掛けぬ動きが静かに進行していたのです。

これこそが「イーストマン・コダック」社の超兵器「コダクローム」でした。
つまり、「発色フイルム」だったのです。
正しく「クロマトロン」「トリニトロン」の関係です。
方式が全く違うので「テクニカラー」は「指をくわえて只見ている・・」ことしか出来ませんでした。

「コダクローム」は恐ろしい勢いで改良を重ねて行き、「普通の撮影機で撮影出来る」「フィルムに直接色彩画像を与える事が出来る」・・と言う利点をさらに発展小型化して行き、ついに「テクニカラー」一辺倒だった「アメリカ映画界」にその姿を現したのです。

そして、これが「第二次世界大戦」と重なり「アメリカ軍」の後押しもあり、戦場にまでその雄姿を見せるに至りました。

「アメリカ軍」は機動性豊かな撮影機に拠る「カラー映像」を必要としていたのです。
従って、「アメリカ軍」の撮った「戦時中のカラー映像」と言うものは、全て、この「コダクローム」に拠るものです。

戦後、「コダクローム」を真似た「発色フイルム」は各社で研究され、色々な「カラー映画」会社が出て来ましたが、「イーストマン・コダック」の「発色フィルム」には、「どうしても勝てない部分」が有りました。
これが「イーストマン・コダック」の世界特許「カラーネガの自動矯正」です。

旭日昇天の勢い「無敵のイーストマン・コダック」と「落ち目の三度笠」の様な「テクニカラー」では「この戦い勝負あり!!」と思われました。

しかし、この後「イーストマンカラー」の意外な弱点が発見され、封じ込められていた「テクニカラー」の逆襲がはじまるのです。
それは、もっとずっと後のことになります。

その弱点とは「色彩の退色」と言うことです。
「イーストマン方式」に拠る化学処理の「発色フィルム」は「年月と共に退色」して来るのです。
しかるに、「テクニカラー方式」の化学処理「発色フイルム」(コダクロームに対抗して作った独自のフイルム)は「色彩の退色」と言う欠点がほとんど見当たらないのです。
この為、「ニュープリント」と称しているフイルムはほとんど全てが「テクニカラー」社のフイルムを使用しているのです(これは裏話です)。

以上は、「色彩映画」の技術的な部分を書いて見ました。
次回は、これこそが「田中さん」のご質問でして、「色彩映画」とそれを使う側の問題を取り上げてみます。



2003年12月

続き「色彩映画・2」を読む

映画に関するご質問はまでどうぞ

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

へ戻ります

contentsへ戻ります

トップページへ戻ります


無料レンタル無料ホームページ無料オンラインストレージ