「新東宝」とは何なのか?と言うことが大事になってきます。
大まかに分けて「新東宝」は下記の様に変って行きました。

順に、そして簡単に述べて見ましょう。

1)「新東宝」誕生
2)「新東宝」と「暗黒大帝・大蔵貢」
3)「新東宝」と「大蔵映画」
4)「新東宝」誕生


終戦後、日本各地で労働争議が起こり、「東宝」でも「東宝従業員組合」が正式に結成されました。
世に言う、3回の「東宝大争議」のこれが始まりでありました。
最初の一回は単なる労働問題としての待遇改善要求等で、比較的穏やかに終わりました。
二回目には日映演(日本映画演劇労働組合)と言う日本の映画演劇労働者が企業の枠を越えて団結した強大な組織が「東宝」と全面対決。
このときの組合の強行派の人々には「左翼思想」の持ち主が多く、やがて来る「東宝レッドパージ」へとつながって行きます。

組合はまず、「会社経営に対しては、まず組合の承認を得ねばならぬ」と言う、労働協議案を会社に突きつけ、「東宝」の劇場・映画館もゼネストに突入します。
同時に「大映」「松竹」の組合もこれに呼応して全面ゼネストとなりました。
この様な、あまりにも強行な「日映演」のやり方に対して、組合内部からも不満が噴出し、遂に、「東宝」は三つに分裂します。

1)「日映演」の息のかかった組合
2)「東宝」本社・配給営業関係中心の第二組合
3)「十人の旗の会」を中心とする第三勢力

上記、1)は「東宝」、2)は「新東宝映画製作所」(新東宝)と言います。
「十人の旗の会」とは当時の大スター達の集団で、大河内伝次郎・長谷川一夫・黒川弥太郎・藤田進・原節子・高峰秀子・山田五十鈴・入江たか子・山根寿子・花井蘭子です。
これが、政治色を嫌い、映画人の映画を作ろうと脱会したもので、多くの人々がこれに従い、「新東宝」として「東宝」の庇護のもと、映画制作を開始しました。
この結果、「東宝」と「新東宝」はそれぞれ「監督中心主義」と「スター中心主義」と言う全く異なった性格を持つ会社となり、その結果、「東宝」には「第一回ニューフェース」として三船敏郎・久我美子・堀雄二等が入って来るのです。
そして、「東宝」と「組合」最後の対決「第三回東宝大争議」はすぐそこにせまっていました。
俗に言う「東宝レッドパージ」と言うもので、占領軍の反共政策とアカ狩りに乗っかった形で大量の人員整理に出てきたのです。
結果、190日にも及ぶ大騒動になり、陸からは、米軍一個中隊が装甲車・戦車各六両と2000人の警官隊で撮影所を包囲し、空からは、米空軍も警戒に出て来ると言う、俗に言う「来なかったのは軍艦だけ」と言う、日本空前の大争議へと発展して行きました。

尚、あまりどころか全然知られていませんが、この時の大争議の様子を写したフィルムが、「ゴジラ」に使われています。
かくして、1000名にも及ぶ人員整理の結果、さしもの「東宝大争議」も終息しました。
この結果、「東宝」も息たえだえになり、52年まで映画を作ることが出来なくなり、この事に嫌気のさした「黒澤明」等は「東宝」を離れ、他社で仕事を始めました。
「羅生門」を「大映」で作った訳はここにあります。

しかし、息もたえだえになったとは言え、未曾有の大争議を乗り切った事で、会社としての「体力」に自信が付き、これが、ヤクザを始めとする日本の「暗黒組織」と関係の無い、健全な会社へとなって行ったのです。

さて、「新東宝」はと言えば、中心にいた「十人の旗の会」全員が間もなくフリーの形になり、各々、独自の行動をとって行く事となり、「新東宝」はしだいに抜け殻の様な状態になっていくのでした。

「新東宝・誕生」の補足になります。

「新東宝」の最初の頃は、名作・傑作がワンサとそれこそあふれかえる位に作られまして、作品的にも高い評価が与えられていました。
それは、「十人の旗の会」を中心とするスタッフ達の力も有りましたが、先にも述べました様に「東宝」の全面的支援の力が有った事も忘れてはなりません。
元来、一つの会社だったものが「大争議」の関係で二つに分かれた為、「東宝」が製作するものを「新東宝」が代わりに製作すると言う、いわば分身の様な形あったからこそ「新東宝」と言う看板も光っていたのであります。
ここで出て来る疑問が、「東宝」は「新東宝」として変身して行けば良いのに何故「東宝」として復活して来たのか?と言うことです。
実は、この部分は、映画界に数ある「闇の話」の一つでして、おそらく、インターネット上に初登場と言う部分であります。

問題は「私刑」事件から起こりました。
但し、「私刑」と申しても「中川信夫」が監督した、映画「私刑」のことです。
「新東宝映画製作所」こと「新東宝」は「東宝」との協定で、その設立時から配給を「東宝」に任せていました。
つまり、当時の「東宝」は「新東宝」の作品の配給をして事業を行っていたわけですね。
「私刑」事件と言うのは、この映画を境にして「新東宝」が自らの手で、自主制作・自主配給を行うと言う事を宣言してしまったと言う「東宝」にしてみれば「何だと〜」と言ってしまいたくなる様な一件でした。
当然、「東宝」としましては、この映画(「私刑」以下8作品)に対する仮処分を司法当局に申請しました。結果、受理されました。

それで話は終わったかに見えたのですが、当時、業績好調なのを良い事に「新東宝」は、ご本家の「東宝」から営業関係者を150人近く引き抜いて「新東宝配給株式会社」を設立してしまいました。
何と・・「東宝」配給部を葬り去って「東宝」直営館を我が手にしてしまおう・・と言う「旗本退屈男・早乙女主水之介」が出てきそうな「世紀の大陰謀」が発覚したのです。
これには「東宝」も怒り、急遽、「東宝」側でも映画制作を開始する事になったのです。

なまじ身内だっただけに「可愛さ余って憎さ百万倍」、今度は「東宝」と「新東宝」が「骨肉相食む」と言うまるで「サンダ対ガイラ」の様な関係になってしまったのです。

次回はエログロ王国と化した「新東宝」のお話です。
2)「新東宝」と「暗黒大帝・大蔵貢」・・・へとつづく。



2003年6月

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

へ戻ります

contentsへ戻ります

トップページへ戻ります


無料レンタル無料ホームページ無料オンラインストレージ