私は、以前から一連の東宝怪獣映画の中で、どうしても解せない映画があることを自覚していましたが、「まあ、いいや」程度の軽い気持ちでそれを封じていました。
 しかし、ある時、その映画のサウンドトラックを聴いているうちに、曲のある部分が妙なリズムを持っているのに気がつきました。
 そして、その気になって聴いてみると、驚くべき事にこの旋律はインド洋以東の大海域に伝わっているリズムとよく似ている。
 なぜ、今まで気がつかなかったのかと思うようなことであるが、考えてみると今までどの評論家もいっさいふれていなかった部分でもあります。
 そう言われてみるとこの映画は当時から多くの謎に包まれていたのでした。
 今回は、その謎に満ちた映画を取り上げてみよう。


 その映画の名はモスラ(昭和36年公開)。
 映画『モスラ』は、東宝怪獣映画の中でも異色の立場に置かれています。
 それは、兎にも角にもあの独特のファンタジー調にあります。まるで、「アラビアンナイト」の様な不思議極わりない映画、SF映画と言うより「サイエンス・ファンタジー」映画です。
 そして、この『モスラ』を語る上で、どうしても取り上げなければならない映画があります。
 それは、『モスラ』の次年に企画された「東宝35周年記念映画」の東宝空前の大怪獣映画にして怪獣対決物の最高峰『キングコング対ゴジラ』(昭和37年公開)と、それに続くモスラ第二作『モスラ対ゴジラ』(昭和39年公開)です。
 状況は、まずはじめに「X(エックス)作品」と言われた『キングコング対ゴジラ』がありました。
 そして、その露払いの様な形で『モスラ』が企画されたのです。
 しかし、「X(エックス)作品」の内容はギリギリまで秘密にされていました。なにせ、プロデューサーの田中友幸が、極秘の内に直々にアメリカに渡り版権を買ってきたくらいだし、買うのが不成功だったら、作品そのものが存在しなくなってしまうのだから大変でした。
 その力こぶを入れた「X(エックス)作品」の前の年の作品と言うわけで、知恵を絞って考え出したのが、「今までにない怪獣映画『モスラ』」でした。
 それに味付けをしたのが、「いつかファンタジー映画を創りたい」と思っていた円谷英二その人でありました。
 そして、この企画に参加したのが「ナベプロ」と「キングレコード」であり、狙ったのがなんと「怪獣歌謡映画」。「ザ・ピーナッツ」の一大音楽ショーと化した、世にも珍しい怪獣映画です。
 そして、その結果、ここに東宝怪獣映画最大の謎が出現します。
 「音楽はなぜ、古関裕而なのか?」


 半世紀に近い年月の流れの中、今となってはこの問に答えられる者は、おそらく一人もいないでしょうしたがって、ここからは「憶測」の域を出ないが、おそらく解答になると思われます。
 まず、最初に誰もが考えるのは、音楽はまず、「伊福部大先生」さもなければ「団伊玖磨」です。「佐藤勝」は趣が違います。
 ところが、伊福部大先生も団伊玖磨も共にクラシック畑の人間であり、『モスラ』の置かれた立場とはこれまた少々異なるものですから、両氏とも当然「降りる」と思われるのです。
 そして、大事なのはこの時、伊福部大先生は彼自身の最高作とも思われる畢生(ひっせい)の名作『釈迦』を大映で創り、東映ではあの『反逆児』の音楽を創っていたのでした。
 と、言うわけで、「キングレコード」の線から「古関裕而」だったのです。
 では、『モスラ』は、音楽としてはどうか、これはもう「素晴らしいの何の」と、言うわけです。好き嫌いは別にして、音楽としては大成功。古関裕而は、その圧倒的な力量と才能を見せつけたのです。
 しかし、「なぜ、古関裕而なのか?」と言う問にはまだ答えておりません。
 大事なのは『モスラ』はあくまでも「X(エックス)作品」の前の年の作品だという事です。
 『宇宙大戦争』(昭和34年公開)以後、やや小休止状態だった東宝怪獣映画に再び目を向けさせるために、耳になじみの良い曲を創り、観客を劇場に引っ張る必要があったのです。
 そして、「ミーハー」も観られる怪獣映画、歌謡映画(昔はこういうジャンルもありました)のファンも取り込める曲、これを創れるのは古関裕而しかいない。これが結論です。
 余談ですが、『モスラ』の併映は、坂本九の『アワモリ君』三部作の第一作です。


 と、言うことは、こうは考えられないでしょうか。
 『モスラ』は、まず「モスラの歌」ありき・・・だったと言うことです。
  古関裕而という希代の才能を持った大ヒットメーカーを連れてきた以上、プロットの段階で「モスラの歌」が出来、この曲を中心にして脚本が改訂され、決定稿が創られ、他の音楽も決まっていった・・・。
 これを証明するのは、日本の怪獣映画で一番最初にレコード化されたのは、『モスラ』の劇中歌である「モスラの歌」であると言うこの大事実です。
 (レコードの画像は、こちらにあります
 全ては、「モスラの歌」を中心に回っていたのです。
 昔から変わらぬ事実として、音楽を取り上げた時、映画をヒットさせるひとつの条件は、良い主題歌を創ることですが、この場合、「インスツルメント」では弱いのです。「歌」の方がてっとり早くて、はるかに強力です。
 これを証明した一番古い映画は、戦前のフランス映画『会議が踊る』であり、以後は枚挙にいとまがありません。


 さて、話は冒頭に戻りますが、映画『モスラ』の中には「モスラ誕生」という曲があります。
 この曲はよく聴くとわかるのですが、後方で「ティンパニー」が「ドンドコドッドン」と鳴っていますが、これはインドネシア付近でよく聴かれるリズムであり、何と日本の祭ばやしのひとつ「屋台下」と同じなのです。
 と、言うことは、南方から来た文明が日本へ上陸したひとつのルーツがあるという説を、ここで証明しているのであり、ここにその代表的な「リズム」を使っているのです。
 そう言われてみて思い当たるのは、古関裕而の多くの曲にみられるあの異常なまでの心地良さ、耳当たりの良さは実は我々日本人が、ひいてはアジアの民が先天的に持っている「血」の中に直接響いて伝わって来る曲だったのですね。
 だから、「南海の怪獣」と言う表現を「祭ばやし」のひとつと類似したリズムを使って表していたのです。
 知っていて、わざとそのように作曲し、「ベース」として音楽の中に漂わせているとは古関裕而という作曲家は正しく恐るべき才能と言えます。


 ところで、『モスラ』にはもうひとつの解せない部分があります。
 「歌が二曲ある」と言うこと。
 考えてみればわかることですが、映画音楽における「歌」の位置はいわゆる「ラブ・テーマ」に属しています。
 そして、大事なことは、「歌は映画の主題歌であり、その数はひとつ」という約束事。
 例外もありますが、ミュージカルでもない限り「歌」が二つも三つもあるのは変です。何回も言いますが通常その数はひとつ。
 ところが、『モスラ』にはあまりに有名な「モスラの歌」の他に「インファントの娘」という歌があるのです。
 そして、これが良くわからないのですが、「歌」が二つ以上あるとインパクトが薄れてしまうのから、創ってもムダだし、創らない方が良いのです。
 『昭和残侠伝』を見終わった人が、必ず「唐獅子牡丹」を口ずさんでいる様に、『モスラ』を見終えた人は、「モスラ〜ヤ モスラ」と歌っていたのを憶えています。
 しかし、「インファントの娘」を歌っている人の話などは未だかつて聞いたこともありません。
 つまりは、全く無駄な歌なのです。


 そして、もうひとつ変なことがあります。
 何年おきかで「ザ・ピーナッツ」の全曲集が「キングレコード」より発売されますが、その時に「インファントの娘」は必ず入っていますが、「モスラの歌」は入っていたりいなかったりという調子なのです。なんか変だなあ。
 以前、ザ・ピーナッツのコンサートに行ったことがありますが、その時も「モスラの歌」は歌わずに、「インファントの娘」を曲目に選んでいました。
 これはいったいどういう事なのだろう。この部分だけはどなたか教えて欲しいです。


 実は、「インファントの娘」は古関裕而の曲ではありません。
 EP盤には「編曲:古関裕而」となっていますが、はっきり言ってこれは「ウソ」です。断言しても良いが、古関裕而の編曲ではありません。
 古関裕而が手を付けた後が全然みられないのです。古関裕而の全くあずかりしらぬ「歌」と言った方が当たっているでしょう。
 そして、思い出してみると、この「インファントの娘」を歌うシーンは何かとってつけたような感じをいだかせます。
 と、言うことは、この曲は、もともと劇中歌として存在しない曲だったのではないでしょうか。
  EP盤のB面の曲を創る必要があったために、後で創ってくっつけたのではないでしょうか。
 日本映画には良くそう言うことがあるので、別に驚くには値しませんが、劇中には存在しない曲がB面として存在している場合、その大半はやっつけ仕事の即席作業で創られております。
 しかし、劇中にない曲が、B面として存在していると言う通常の映画音楽制作過程では許されないような部分が、おおぴらにまかり通っているというデタラメなところが、これまでの日本映画の誠にいい加減な部分でもあったのです。
 ところが、『モスラ』は、この部分を後で創ってくっつけてしまったのですね。このあたりが、「古き良き時代」の面白いところかもしれません。


 さて、ここで、ついでに「X(エックス)作品」こと『キングコング対ゴジラ』その次年の『モスラ対ゴジラ』について述べておきます。
 まず、どうしても憶えておいていただきたいのは、全ての中心に『キングコング対ゴジラ』がある、と言うことです。
 この作品の前後を固めるという意味で『モスラ』『モスラ対ゴジラ』があるという事実。
 『妖星ゴラス』『世界大戦争』がこの裏側に回って固めているのですが、これらの全ての道が『キングコング対ゴジラ』につながっているのです。
 (ただし、『妖星ゴラス』『世界大戦争』の件は、この回では取り上げないことといたします)
 さて、『キングコング対ゴジラ』は、これが発表された時、本当の意味でマスコミは驚きました。
 「怪獣王キングコング」と、新進気鋭(当時は)東洋の大怪獣「ゴジラ」が激突する。何とものすごい企画であることか。血わき肉おどるとは正にこのこと。これが夢であり、これこそが映画である。第一、ネーミングが良い、響きが良い。
 『キングコング対ゴジラ』は、今考えても正に絶妙の企画、絶妙のタイトルです。全く本当に素晴らしい。
 そして、その結果、日本国中は空前の「大怪獣ブーム」が訪れ、連日大入り満員の大盛況で、東宝は「バンザイ」を連呼しながら社員に特別ボーナスを出すなどの、正に大当たりを取ったのでした。


 そこまでならば、めでたしめでたしでありましたが、これには後日談があるのです。
 長い年月の末に、世間からは忘れ去られたような事実ですが、私は強烈に憶えております。

 題して、『キングコング対ゴジラ』事件
 国内での空前の大当たりに気を良くした東宝は、海外へ売り込むために外人のバイヤーを通じてアメリカ本土へ『キングコング対ゴジラ』を上陸させました。
 この時は例の「ハンク・サーペルスタイン」は登場しておりません。
 (「GODZILLAへの道」参照)
 そして、その結末は・・・。


 これはもう、筆舌に尽くしがたい程の酷評というより、アメリカ人そのものの「怒り」を買ってしまい、今でも「最もアメリカで当たらなかった日本映画のひとつ」と言われるほどの地獄へたたき込まれてしまったのです。
 答えは、ひとつ、「コングを馬鹿にしている」この言葉に尽きます。
 そして、その結論は「ヌイグルミのクレージーファイト」と、言うことです。
 『キングコング対ゴジラ』は、風刺がらみに「コメディタッチ」ある。これが、アメリカ人の琴線に触れてしまったのです。
 当時のSF映画の作り方は、「コメディ」は御法度でした。最初から、「チャイルド物」や「コメディ」にしてしまえば別ですが、その類は最初から三流作品とみられているのです。
(例えば、アボット・コステロの凸凹シリーズなど)
 もっとシリアスに創れば絶対に受けたはずなのに、妙にしゃれたつもりで創ってあるから、全く受けなかったのです。
 後年、『フランケンシュタイン対地底怪獣』が、恐ろしくシリアスに創られているのはこのためであり、『GODZILLA』制作のおりに「コメディにするな」を条件にしていたのは、全てこの『キングコング対ゴジラ』事件がもとになっているのです。
 映画とは歴史があり、ひとつの事実がみなつながっています。
 当時の日本の新聞も大見出しでこの事件を報じました。
 風刺漫画のエジキにもされ、いたるところで「泣いているゴジラ」が面白おかしく描かれたものでした。

 後年、多くの評論家はこの「コメディタッチ」を絶賛しておりますが、この『キングコング対ゴジラ』事件を知っているのだろうか。
 おそらく知らないと思われます。この類の映画を評論する人々は恐ろしいことに、ほとんど『地球最大の決戦』(昭和39年公開)あたりから観ている人たちであり、いわゆる「オタク」の連中です。
 裏でこのような事実があったことを、年齢的に認識していない人たちで、このような「身の程知らず」の人たちが、大きな顔をして評論をしているのだから、世も末です。
 「オタクは日本を滅ぼす」。
 断っておきますが、私は「オタクではない」。私は「マニア」です。


 ところで、『キングコング対ゴジラ』に関して言えば、東宝も東宝です。
 なぜ、このようなコメディタッチの脚本を「可」としたのでしょうか。
 それは、東宝側の根本的な考え方である「しょせん怪獣物は子供向け、金がもうかりゃそれで良い」に由来しております。
 しかし、「シリアス」に創れば良いかと言えば、同年の『世界大戦争』などは「シリアスに創り過ぎて失敗した」と言われているのですから、映画という物は面白い。
 でも、私は『キングコング対ゴジラ』は好きですね。
 このようなコメディタッチは好かないけれど、もう総力戦で創っているのがわかりますから。


 そして、その結果を踏まえて、次年に怪獣対決映画企画されました。
 「ゴジラ」の相手は順当ならば「ラドン」ですが、前年に意外なほど出来の良かった新怪獣「モスラ」で行くことになりました。
 この時の東宝の考え方は決まっていました。
 「シリアスで、まじめな形で創るぞ」
 折しも起こったのは、悪くすれば人類絶滅の最終戦争・第三次世界大戦勃発かと言う「キューバ危機」でした。
 「よし、これで行こう。アメリカとソ連(当時)の関係をモスラとゴジラに置き換えるのだ。これなら、絶対いけるぞ」と、名物プロデューサー「田中友幸」はひとりご満悦だったらしいのです。
 ここまでは、凄く立派な考えであり、好企画だったのですが、蓋を開けたら、何か煮え切らない形になってしまいました。
 私は、今を去ること30年前に、このホームページの管理人の「たかはしよしひで」さんに宛た手紙にこう書きました。
 「なぜ、モスラをさせなかったのか。この映画こそは、映画史上に残る作品となれる可能性を秘めていた。
  キューバ危機と人間不信の二本柱を全面に出して、まじめに脚本を創っていれば、絶対に結果は付いてくる。
  そう言う映画だったはずなのに、大漁を逸してしまった。本当に東宝はわかっていない」
 以後、この映画『モスラ対ゴジラ』を境にして、「怪獣プロレス」路線が始まり、完全に「お子さま映画」としてその地位を確立させていったのです。
 それは、この次年に切り札「キングギドラ」を登場させるなど正になりふり構わぬ状態でした。
 そして、その結果、怪獣達は堕落していったのです。


 『モスラ対ゴジラ』の不満は数々あれど、そのラストは正しく「高田延彦対マイク・ベルナルド」の試合そのものです。
 「ふざけてんじゃないぞ」そう言いたくなってしまいますね。
 と、言うわけで、いかに『キングコング対ゴジラ』が映画史上重要な作品であるか、そして、その前後に配された二つの「モスラ」映画がこれまた決して見過ごすことの出来ない作品であるかと言うことがわかって下されば幸いであります。
 しかし、音楽的に『モスラ』は素晴らしい。
 古関裕而がこれ一本と言うには、本当に残念です。
 しかし、そのたった一本の怪獣映画『モスラ』こそは、日本映画史上に輝く名曲の集大成であり、「モスラの歌」は、世代を越えて歌われ続けて行くことでありましょう。
(2002年1月脱稿)


【次回予告】
君たちは「金子修介監督」の本当の顔を知っているだろうか?
ガメラシリーズで名を成し、このたび『大怪獣総攻撃』を撮った金子監督を「SF好きの監督・SF映画の名手」だと思ってはいないかい?
次回は、金子修介監督について書かせていただきます。

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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