実写版映画「鉄人28号」
富樫森監督の事を少し
東宝の裏面史

水野重康


「鉄人28号」実写版は「富樫森」監督が手掛けるとのこと。

「富樫森」は、まだまだ「メジャー」な監督ではなく、一般的にはあまり知名度はないのですがいわゆる「若手監督」の中では「実力派」で通っています。
「2001年」に「非バランス」で注目を集めた監督です。
近作には「星に願いを」がありまして「ほ〜とうとう出てきましたね」と言う感じです。

私は「ある事件」の時から、「この監督」(富樫森)の名前は知っていました。
その事件はある意味で「東宝の裏面史」でありまして、その内に「書こう」と思っていましたので、簡単ではありますがここに書き込ませていただきます。
「2001年」に「非バランス」で、初の「長編映画」を撮るまで、色々な監督の元で助監督を務めていました。厳密に申しますと「師匠」と言う「監督」はいませんが、その分「色々な形」を体験し吸収して「自分の財産」として行きました。「何でも撮ります」と言う監督ですね。

問題の映画は「東宝」で1993年に作られた「卒業旅行 ニホンから来ました」と言う作品です。
この映画は「織田裕二」扮する若者が、ひょんなことから、タイ付近の王国(?)で「スーパースター」になってしまうと言う、まあ言うなれば「青春ドタバタ喜劇」なのですが、これを「金子修介」が撮っています。
ここで「織田裕二」は「演技者足る者の立場をわきまえずに」、撮影現場の最高責任者である監督の「金子修介」に「演技」と「演技論」のことで衝突して、見てくれは「ケンカを売った」事になってしまいました。
元来(今でもそうだが)、「織田裕二」は「頑迷で偏執」的な所がありまして「演技の事では譲れない」等といわゆる「たわ言」を言っている「困った兄ちゃん」なのです。

つまりは、「金子修介」の演出が気に入らないので「非協力的」になり「ケンカ状態」になってしまいました。
早い話が「織田」「金子」の双方が「おれは降りる」と言う状態ですから仕事にはなりません。
ここまでこじれたのは、お互いに「相手の性癖」の、「罵り合い」をしたからです。
「金子修介」の事は、不肖、私がこれまでに散々と書いています。
「織田裕二」は「知る人ぞ知る」、「おすぎとピーコ」の仲間である・・と言う事ですね。

結局、色々な人が中に入ってくれたお陰で、何とかかんとか作品は完成する事が出来ました。
この時、最も活躍したのが、助監督をやっていた「富樫森」だと言うのですが、これは「マユツバ物」の話です。
クランクアップの時に「金子」は
「織田裕二とは生涯に渡って仕事はしない」
「頼まれても東宝の仕事は受けない」
と宣言します。
後に、「東宝」とは「心の氷解」をしますが今でも「何か引っかかる・・」とは心の底の方で思っているハズです。
「卒業旅行 ニホンから来ました」は「ノーテンキな程に明るい映画」に仕上がっていますが、その製作現場は「全くの逆」であった・・と言うお話でした。


さて、「富樫森」はこの後、色々な立場で「助監督」を手掛ける事になり「テクニック」を身に付けて行きます。
「クサイ話はそれなりに」「ドロドロ話もそれなりに」・・とそつなくこなす方法を身に付けています。「唯我独尊」的な「北村龍平」よりはずっと上手いですよ。
ただ、「鉄人28号」の世界観を「どれほど理解しているか・・」に関しては「?」と言いたくなるので、「鉄人28号」の出て来る「全く別の物語」と思っていた方が良いでしょうね。


2005年1月

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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