忍ーSHINOBI

水野重康


映画「忍ーSHINOBI」ですが、まず、この「タイトル」は「?」とおもいますね。そもそも原作たる「山田風太郎」の小説はその全てに於いて「忍・しのび」と言うイメージはないのです。
あくまでも「忍者」であり、「忍法」の世界なのです。
「忍」と言う言葉で思い出すのは、「忍びの者」「梟の城」そして「カムイ伝」と言う感じです。
「山田風太郎」の世界の住人は「カムイ伝」の様な「歴史の陰に、そして底辺に蠢く」ような「リアリズムの世界」ではなくて、皆が皆「超常的な力」を持ち、「常人」の域を遥かに越えた連中ばかりなのです。
特に、「甲賀忍法帳」に登場する者達と言えば、「蜘蛛男」「ナメクジ男」はたまた「不死の人間」(不死身ではなくて不死)と言う、もう「ショッカー」の「大幹部」になれそうな、恐ろしい「超常力者」ばかりでありまして、まかり間違っても「忍」と言う「イメージ」ではないのです。

「映像不可能」正しくこれこそが「映像不可能」な作品なのですが、それは、あるシーンが「大きな壁」として立ちはだかっているからなのです(後述)。

それでは、この映画が「カムイ伝」を彷彿させる様な「リアリズムに満ちた小汚い世界」か・・と言えば、「映像」自体は非常に美しく「映像美」に満ちた映画なのであります。
特に、「女優陣」は非常に美しく撮れておりまして(撮りすぎです)、完璧なる「粒ぞろい状態」です。
「仲間由紀恵」が「朧おぼろ」役と言うのはちょいと首をひねりたくなりますが(イメージだけなら長谷川京子です)、只、この作品は「仲間由紀恵」主演の映画でありますから、演技力のある「仲間由紀恵」でも良いでしょう。
しかし、何よりも「黒谷友香」と「沢尻えりか」が「絶品」です。
この二人は正に「パーフェクト」。
特に「黒谷友香」はスゴイ。この子は「スペース・クラフト」にいるので昔から知っていますが、使うのが非常に難しい「タレント」です。
よく、「陽炎」の難役をこなせました。
そして、「沢尻えりか」ですが、この一見「ノホホ〜ン」とした子は実は以外に知られていませんが「度胸の塊」のような子でして、これから「グングン」出て来ると思います。
「黒谷友香」「沢尻えりか」の二人を見るだけでもこの映画は「価値」がありますね。
処が、満点の女優陣に比べてどうも頂けないのが、「甲賀弦之介」役の「オダギリ・ジョー」です。
どうも「線が細くて」いけません。おまけに「悩み多きロミオ」の様に描かれていますので、もう「優柔不断の軟弱者」に見えてしまい、かてて加えて「子連れ狼」のラストの「パクリ」宜しく「朧」に討たれてやる・・と言う、まるっきり原作をひっくり返した様な場面は一体全体何でありましょうや(劇中のこの場面は状況設定的には、私の地元の「浜岡の砂丘」ですな)。

そもそも、この映画は「画面の美的構成」にばかり腐心していて、奇をてらいすぎているのが気になりますね。
「甲賀・卍谷」「伊賀・鍔隠れ」と言う所謂「隠れ里」が何故、「断崖絶壁」「川の中州」と言う「奇妙奇天烈な所」にあるのでしょうか。
「忍びの者」を観た事がないのでしょうか?このぶぶんはもうすこし「リアリズム」で良かったとおもいますよ。

この映画は「ツボ」とも「キモ」とも言える部分を外してしまっているのが「難点」です。
「山田風太郎」の数ある作品の中で最も面白い部分は何か?の問の答えがそれです。
その部分は「甲賀忍法帳」の始めの方に有ります。
「甲賀・地虫十兵衛」と「伊賀・薬師寺天膳」との対決シーンがそれ。
手足の無い「イモ虫」を思わせる「蛇身の忍者・地虫十兵衛」の「イメージ」が物凄いうえに、更に、「必殺」の「身中の剣」を浴びて絶命したはずの「薬師寺天膳」が「不死の力」を見せ付けて復活し、「地虫十兵衛」を一刀両断にする・・と言うシーンですが、この部分は後に「伊賀の影丸・青葉城」で「大八」が「天野邪鬼」を打ち倒すシーンにパクられるほどの名シーンで正しく「最高の面白さ」なのです。
この「シーン」無くして「甲賀忍法帳」は存在しない・・と言っても良い位の「白眉」の名シーンでありました。

然るに、映画「忍ーSHINOBI」ではこのシーンはなっかった。
何故か?それは、このシーンこそが「映画化不可能」な部分に他ならないからです。
「技術的」にではなくて「人道上」と言うかそう言う問題。
つまり、「障害者」の問題とダブッて来るので「圧力団体」からの抗議を恐れるのです。
この原作が発表されて間もなく(昭和30年代)に、「漫画で単行本化」されたことがありますが、その時、原作に無いセリフとして、「甲賀者は変った体の者が多いな・・」と言うのが有り、原作上でも「閉鎖された土地での近親結婚がながきに渡り繰り返された結果、この様な能力が身についた・・」と説明されている(これは石川賢の世界じゃな・・)。
映画の中では「黒谷友香」の「陽炎」(情交時、吐息が猛毒になり、相手の男を殺す・・と言う忍法を使う、これも生まれつきの体質)が、「小さい時から毎日毒を少しずつ飲んで、この術を身に付けた・・」と語るシーンが有るが、これは正しく「逃げ」であり、それでは、「伊賀の影丸・闇一族」に登場する「村雨兄弟」と同じじゃあ〜りませんか。

原作と同じにする必要は無いし、「解釈」と言うことでその作品をどの様にも料理することは自由であるしそれは「当然の権利」であるが、「原作」の良さを失ってはいけない。
もっと強い気持ちで「原作」に向っていったほうが良い。「弱腰」だな。下山天」と言う監督は全く知らない人だが、若いうちからその様な「弱腰」でどうするんだよ。

「オダギリ・ジョー」もイカンよね。この人は常日頃から「自分はスターではない・・」と標榜しているし「ファッション・リーダー的」な服を着ているが、その様な考え方をして、着こなしを続けていると「スター」ではなくて「性格俳優」になってしまうよ。
そもそも、「銀幕」に於ける「スター」と言うのは、「会社」と「大衆」によって創られる者でありまして(最も、今は五社がないけれども・・)、自分から「なろうと思ってもなれる者ではない」。
しかし、「スター」を目指して、自分も「スター」になるのだ・・「我こそスターなり・・」と思っていない人もこれまた「スター」にはなれないのです。
つまりは「演技が軽くなる」のです。
兎に角、「忍ーSHINOBI」に於ける「オダギリ・ジョー」は「悪い所」ばかりが出てしまっており、わたしは「波田陽区」の兄貴が出ていると思ってしまいました。

「忍ーSHINOBI」は原作たる「山田風太郎」の「甲賀忍法帳」よりも「せがわまさき」の「バジリスク」を下敷きにしている「ふし」が見受けられるが、どちらにしても、「山田風太郎」の世界を的確に表現している・・とは言い難く、その点では「違和感」を拭えない。
「原作」をどの様に「料理」しようがこれこそが「表現の自由」であるからにして、「下山天」版の「甲賀忍法帳」であって、何の依存も無いが、「まずは、原作とその世界を理解する」ことこそが「キモ」であろう。
映画ではラストで「朧」が「卍谷と鍔隠れを滅ぼさないでくれ・・」と「家康」に嘆願する「原作に無いシーン」があるが、これは全くの蛇足。時代的に多少前後反転するが「甲賀忍法帳」の続きが「くの一忍法帳」なのでありまして(但し、話は全く繋がっていない)、「こいつは、あまり小説読んでないな・・)とおもってしまう。
「ラスト」が決定している物語を、別の角度から作品にして行き「ツジツマ」をあわせる・・。と言うのが「甲賀忍法帳」ののでありまして、その面白さを表現しないといけないのですよ。
そして「オダギリ・ジョー」は「この映画を明日への糧として自覚し「勉強」の一環である・・。と思ってくれれば、この人の未来は明るいと思う。「役者」になったからには「スター」を目指せ。

しかし、先にも述べたが、この作品の映像自体は非常に美しく、特に「女優陣」が美しく撮れている事は「特筆物」的な良さを感じる。
「セリフ」が少ないのは大いに宜しい。
大体、日本映画は「セリフ」で説明しようとする「悪癖」が有り、「無駄なセリフが多すぎる」きらいがあるから、「セリフ」は少ないほど宜しい。
映画は「活動大写真」なのであり、「映像」こそが大事なのであります。この作品にも「セリフ」が変なところは多々あるけれども、その様な事は「どうでも良い」ことなのです。
従いまして、「忍ーSHINOBI」は「映像美」とか「セリフが少ない」と言う点では「大変好ましい出来」になっている。
しかし、しかし、「映像美」にこだわり過ぎて、「脚本」がまるっきりのダメオヤジ。
「山田風太郎」の世界は「全く表現出来ていない」。
「美しく創る」と言う「技術」は持っているのであるから、もっと「内部の表現」を心掛けるべきですな。
「技術を持って人を感動させる・・」と言う言葉を思い出しました。
言うなれば、この映画は「もう一歩のツッコミが足りないから「感動させる」ところまでは行っていないのですよ。
ラストで延々と「水辺にたたずむ、朧」(仲間由紀恵)のシーンが有るが、これは「非常にズルイやり方」。「仲間由紀恵」を「美しく見せ続ける・・」と言うことで、すべてを「ガラガラポン」にしてしまって「良い余韻」だけを残そう・・と考えたのでしょう。
しかし、こう言う創り方をして「逃げ」の姿勢を見せて「楽に事を運ぼう」とすると、「ドンドン」落ちてきますよ(堕落するってこと)。

もう一歩・・と言う感じの映画でありました。


2005年9月

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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