江戸川乱歩が泣いている

「明智小五郎対怪人二十面相」について

水野重康


開口一番。まず、誰もが思うことがあります。
「いったいどの様な作品になるのだろう?」
明智小五郎が「田村正和」(以下「正和」)で、「ビートたけし(以下「たけし」)」が二十面相。
これは「インパクト」がある。
で、「とにかく見てみよう」となる。
これだけでTBSとしては半分以上成功です。
まず見てもらわなくてはどうしようもないし、「視聴率命」のTV局としてはここに最初の勝負を賭けました。
そして、この部分だけならば、まずは「よし、よし、よしの」です。
しかし、大宣伝をした立派な包装紙を開けて中味を見れば、「う〜ん」となってしまいます。


「何でしょうか?この作品は?」
最大のウリは「正和」と「たけし」。
この二人におんぶにだっこ状態。
夏休みの子供達に加えて、大人までも取り込もうと言う意図がミエミエですね。


ところが、皮肉なことにこれこそがこの作品の最大のネックになってしまった。



ところで、この二人は何歳だと思っているのか?
「正和」は、60歳ですよ、本当に冗談じゃないよね。
明智小五郎は格好の良い青年紳士(死語)であり、無敵の名探偵じゃなかったんですか?
妙に若作りをした定年前のショボクレ刑事に見えたのは私の目の誤りなのかなあ。


かてて加えて、今や全く輝きのなくなった「宮沢りえ」に横恋慕すると言う妙なエピソードを入れたものだから、ますます冴えないオヤジに見えてしまいました。 
たぶん「宮沢りえ」が出演したのは「たけし」の口添えなのでしょうね。


また、「たけし」と言えば、一体全体何ですかこの二十面相は。
この際ですからハッキリとしておきましょう。
二十面相の別名は「怪盗紳士」じゃなかったですか?
江戸川乱歩は、二十面相を創造するにあたり、「アルセーヌ・ルパン」を下敷きにした怪盗の芸術家を考えたはずですよ。
昔、雑誌「少年」に「少年探偵団シリーズ」が連載されていた頃、この話はよく小説の欄外に書いてありました。
ですから、二十面相は自身の身の上や女を巡る過去の私怨(まさに私怨)で「憎し、明智」に凝り固まった様な、無粋で、凶悪・狂暴な悪漢(これまた死語です)ではありません。
独自の美意識を持った格好の良い「世紀の大怪盗」なのです。
その辺りを全く理解していないものですから、「たけし」が演じてしまったために、引退間近のテロリストみたいになってしまいました。
それに、「たけし」は「コマネチ!」のやりすぎでガニ股になってしまっている。
ガニ股の二十面相なんて全然格好良くはありませんね。
「TIM」のゴルゴ松本が演ずる「命!」とあまり変わりありません。せいぜいそのレベルです。
要は、あまりにもイメージが違いすぎるのです。

わかりやすく申しますと、「GODZZIRAへの道」にも書いてありますが、いくらエメリッヒが「ゴジラである」と言っても『ゴジラ』と『GODZZIRA』が同じものだとは誰も思わないでしょう。
けして外しては「ダメ」と言う部分があり、これは「定番」の映画になればなる程、強くなっていきます。


では、元になる「明智小五郎」や「怪人二十面相」のイメージとは何でしょうか?



実は映画の中ではこれという固まったイメージはありません。
「波島進」や「大木実」が演った「明智小五郎」はイメージの原点とはとても思えません。


では、どこから来たのかと申しますと、実はこれは「挿し絵」からなのです。
「挿し絵」と「小説の本文」からイメージが膨らんで行ったのです。
この形が決まっているものは崩してはダメなのです。
「古典芸能」には特にこの傾向がわかりやすく説明できます。
観客はこの決まった「型」を楽しんでいるのです。
映画はたかが100年の歴史ですが、50年も経っている作品は「定番」となり「型」が存在しています。
「新解釈」の名の元に安易に「型」を崩してはいけません。
その場合は製作側によほどの力量を必要としますので、たいていの場合は失敗の憂き目にあってしまいます。
このあたりの事がわかっていないと言う事は製作側の幼稚さであり、要はまだ「子供」なのだと言う事です。



事のついでに書いておきましょう。
「伊東四郎」が某番組でこの作品の事にふれ、「正和の演技力にはビックリした」と言っていたので笑えてしまいました。
伊東四郎は、掛川の出身で、私の町内みたいな所の出ですから、良く知っているのですが、この人は本当に昔から「ヨイショ」がうまいですね。
(「ヨイショ」と言うのは芸能界用語で、「ヨイショとかついで、良い気分にさせる」と言う意味です)
顔はコワイけど気が小さいですから(昔から知っているもので・・・)この手法で芸能界を生きてこれたのです。



さて、俗に言う「大根役者」とは、正にこの人、「正和」の為にある言葉ですし、それは本人も良くわかっていると思います。
田村三兄弟の長男「田村高廣」に連れられて、高校生の時に松竹の大船撮影所の遊びに行き、専務になってしまったのがそもそものキッカケでしたが、この時、強力に映画界入りを薦めたのが松竹の誇る大監督「木下恵介」でした。
(木下恵介も私とは自宅が近いので、良く知っております)
この大監督は「おすぎとピーコ」の知り合いですから、正和に入れ込んでしまいました。


顔は好みがあるので何とも申せませんが、正和は「肌の白さ」とかそう言う「美しさ」は天下一ですね。
白磁の様な肌で、この様なきれいな肌の男優は、まず、いないと思われます。


しかし、「演技力」は先ほどから申す様に「超」の字の付く「大根」です。
普通ならば、映画界で生きていくのはちても難しいくらいの演技力ですが、それだけでは説明出来ないのが、この世界の面白いところでしょう。
大俳優「阪妻」の次男で、田村高廣と木下恵介が後ろに控えているので、何となくプラプラと生きてこれました。
まあ、「華がある」と言うのでしょうね。


で、プラプラとしている内に「東宝一の変わり者」と言われる「酒井和歌子」を「愛人」にしてしまいました。


余談ですが、「映画界の変わり者比べ」をやったら、ひょっとしたら酒井和歌子は優勝するかもしれません。
それくらいこの「東宝のお姫様」は変わった御仁なのです。
それとつき合った正和も、相当に変わり者である事がわかります。


元来、時代劇ばかりやって来た正和も、時折時代劇に出たり、舞台に立ったりで、相変わらずプラプラやっていたのですが、いかんせん演技は全然うまくなりません。
そうこうしているうちに、年齢が重なって来ました。


ある時、「おやじ(阪妻)のクセはこうだ」とか「千恵蔵は、右太衛門は、林長二郎(長谷川一夫)はセリフをこういう風に言う」と真似をしている内に、とんでもない事に気づきました。
そうです。「正和」が「正和」の真似をすると言われたあの独特なセリフ回しに気が付いたのです。
酒の入った長谷川一夫が、「おのおのがた・・・」と言って周りを笑わしていたのを思い出しました。
知人が「正和」の前で「正和」の真似をしたことを思い出したのです。
「そうだ!この手があった」
そして誕生したのが、「古畑任三郎」での独特の言い回しだったのです。


ついに必殺技を手に入れたのですが、恐ろしいことに今度は何をやっても古畑任三郎になってしまいました。
世界広しといえど「自分で自分の真似をする」のを売りにしてご飯が食べられるのはこの人だけです。
しかし、この必殺技は「禁じ手」で、早く止めないととんでもない事になってしまうのですが、それに気づいているのかなあ?


さて、ここまで書いたのなら、阪妻の三男「亮」についても書いておきたいのですが(ロンドンブーツじゃないよ)、亮は今回の話とは全く関係がありませんので、控えさせていただきます。
ただ、亮はいわゆる「大器」でして、正和とは雲泥の差のような演技力の持ち主です。
これが、鬼才「実相寺昭雄」とのからみがありまして結構面白い話があります。


話は元にもどります。
さて、多くの方々が、「TV版 明智小五郎」といえば「天知 茂」、あるいはその跡を継いだ「北大路欣也」のシリーズを思い浮かべると思いますが、実はこの「天知 茂シリーズ」には、手本となった作品(シリーズ)があったのです。


あるいはご存知の方もいると思いますが、今から30数年前に当時の東京12チャンネル系で放映しておりました、「滝俊介」主演の「江戸川乱歩シリーズ・明智小五郎」がそれです。


このように東京12チャンネル(今のテレビ東京)は、時折ものすごく良い作品を出すことがあるのですが、この 「明智小五郎」もまさにそれです。
第一、タイトルバックからして万華鏡の中で「ハニー・レーヌ」(ご存知ですか?)が踊っていたり、内容も凝った作りでドロドロしておりまして、私にとっては、もうご機嫌なシリーズでした。
しかし、人気があったかと申しますと、これはもうサッパリでした。


このシリーズには二十面相は出てきませんが、これに変わる敵役が「怪人・黄金仮面」で、二十面相とダブって見えて実に面白かったです。
黄金仮面を演じたのは村田秀雄(後の「団 次朗」)でして、黄金仮面として二回出番がありました。


団 次朗という芸名は、たぶん「団の会」を意識して付けたのでしょうね。
「団の会」というのは、東宝の「団 令子」(お姉ちゃんトリオのひとりです)が音頭をとって作った会のことで、「団伊久磨」や「団 鬼六」など「団」の付く名前の人が入っていました。
なお、「お姉ちゃんトリオ」というのは、「団 令子」「重山規子」「中島そのみ」です。
(もう、誰も知らないでしょうね・・・)

この水木 襄の「明智小五郎シリーズ」をそのまま天知 茂に変えて、なかば「盗作」気味に作ったのが、テレビ朝日系のものだったのです。


でも私に言わせれば、テレビ朝日のものは天知 茂に頼り過ぎておりまして、江戸川乱歩シリーズというよりは「天知 茂シリーズ」という感じでしたね。
江戸川乱歩の本領は「密室劇」でありましたが、「非情のライセンス」の影を引きずり過ぎておりました。


水木 襄のシリーズは、水木 襄が30代、「黄金仮面」の団 次朗は20代でした。とにかく若かったのです。
だが、今回のように、明智小五郎が60歳。二十面相が55歳では、もういけません。
作品の出来不出来以前の問題です。
製作側が「新解釈だし、どう作ろうと勝手」と思っていたら、それは増長というか、うぬぼれなのであります。
江戸川乱歩の事が良くわかっていれば、恥ずかしくてこの様な作り方はけして出来ないのが普通なのですが・・・。


もとを正せば、この作品の出典は「少年探偵団シリーズ」ではなかったですか?
何の知識もない子供達が、明智小五郎や怪人二十面相とはこの様なジジ臭い人物なのだと思ってしまったら、いったいどうするつもりなのでしょう(どうする・・・アイフル)。
横溝作品が岡山地方を中心とした「空間劇」であると同様に江戸川作品は「内なる宇宙」を求めた「密室劇」がその真骨頂です。
下手でハデなCGも結構だが、それでは「江戸川乱歩の世界」を曲解しているし、世界観が違う。
今は昔の過ぎ去りし日々、少年だった日々に製作者もどこかでこの物語に接しているはずなのです。
その時の純な気持ちを忘れてはならない。
今回、この様な先品を作ること自体が製作者のエゴが丸見えだし、偉大なる江戸川乱歩を冒涜していると思わないのだろうか。


「江戸川乱歩」が泣いているぞ。


(2002年9月脱稿)

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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