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1933年版の影

水野重康


今回の「キング・コング」は1933年版を踏襲しており、その背後には常にその影が見え隠れしている。
1933年版は、あまりにも有名な作品である。
そして、「ある言葉」だけは押えておいていただきたい。
その言葉の解釈が「キング・コング」の解釈へとつながっている。
その言葉は、あまりにも有名な言葉、映画史に残る言葉。

It was beauty killed the beast。
美女が野獣を殺したのだ

横道にそれるかもしれないが、1933年版の事に触れておきましよう。
実は、1933年版は幾多の変遷にさらされているのです。
その内訳は次の如くです。

1)1933年版の原版
2)1933年に公開されたもので「1933年版」として通っている
3)1938年に再公開されたときのもの

上記は「同じ作品」には違いないのですが、実は少々違います。

1)は、公開される前の所謂「マザーテープ」でして、これは現存しておりません。
2)は、一箇所カットされている所があり、それは「摩天楼」から「コング」が墜落するシーンでありまして、「あまりにも哀れ」とオブライエンが思い公開時にカットされました。
3)は、初公開時に「ブーイング」が起きたシーンの再検討を行い、再公開時にカットされたものです。
「コング」が島の原住民(aboriginal・・となっている)を踏み潰して、「ムシャムシャ」と食べてしまい、ニューヨークでは市民を惨殺するシーンです。
「何と言う野蛮で恐ろしい怪物であろう!!」と言うのが「コング」に対する評価でしたが、その一方で、ニューヨークをぶっ壊して飛行機を叩き落す場面には「ヤンヤ」の大拍手が送られました。
もう一つカットされたシーンと言うのは、「コング」が「アン・ダロウ」(フェイ・レイ)の下着の中にそのぶっとい指を入れて「コチョコチョ」と触ると言う「まるっきり、田舎のスケベ親父」の様なシーンです。
後述いたしますが、このシーンが実は「キモ」なのです。
処が、世のご婦人方の「まあ〜!!いやらしい猿」と言う見方があまりにも多かったのでカットしました。
これ以後、永く「キング・コング」は上映される度に1938年版が使用されました。

不肖、この私は「猿人ジョー・ヤング」の公開時に「キング・コング」が併映されていましたので、この時初めて「キング・コング」を見たのですが、これも1938年版でした。
時代は移り、「キング・コング」がやや風化されようとした時、突如として「NHK」から暮れも押し詰まる12月25日に放映されました。
昭和35年(?)のことです。
この時、多くの人々が「初めてコングの勇姿をみた」と言う事実を後で聞きました。

そして、更に時は進み、アメリカで「VHS」に拠る「映画ソフト」が発売されました。
今から30年も前のことです。
この内の一本「キング・コング」には、1938年再公開時にカットされたシーンが入っていました。
原作品への復帰です。
オリジナルの「キング・コング」が原点に近い形で蘇りました。
しかるに、この時点でもまだ「未収録」の部分が有ったのです。
それは。

1)「アン・ダロウ」を「コチョコチョ」するシーンがほんの数コマ
2)前世紀の昆虫が丸木橋から落ちた「カール・デナム」たちに襲い掛かるシーン
3)「摩天楼」から墜落する「コング」を上からスローで見たシーン

先ほど書き洩れたのですが、これもあまり評判が良くなかったシーンとして1938年再公開時にカットされたのが、前世紀の昆虫「クモガニ」(・・・と言われている)がウジャウジャ出て来て、「危うし!!カール・デナム」と言う戦いが谷底で行われるのですが、単純に「気持ちが悪い」と言う理由からカットされたものです。
処が、このシーンはフイルム事態が散逸してしまいまして、今日に至るまで行方不明と言う「本物の幻のシーン」となってしまうと言う「おまけ」がついています。

さて、上記の事を踏まえた上で「原典回帰」を望む「ピーター・ジャクセン」はどの様にして「キング・コング」に立ち向かうのでしょうか。
そして、話は前に戻り、ここで

It was beauty killed the beast・・・
の解釈の問題が大きな形として出て参ります。

創造主オブライエンは「キング・コング」に対して、
「凶暴極まりない原始の野獣がなまじ人間の女に関わったばかりに、非業の死を遂げる・・」
と言う設定をしました。
そこで、大きな存在になって来るのが、例の「コチョコチョ」シーンです。
「コング」から見れば、良い臭いがして金髪をきらめかせながら「キャーキャー」と騒ぐ「見た事も無い珍しい生き物」として「フェイ・レイ」扮する「アン・ダロウ」を配しました。
「珍しい生き物」を追いかけて捕まえて自分の物にする・・・
と言うのはある意味「昆虫採集」のそれとおなじです。
オブライエンの考えた「コング」とは、そう言うイメージです。

昔、「山川惣治」が「少年ケニヤ」の中に、「キング・コング」の「パクリ」宜しく「テイラノサウルス」を登場させるエピソードが有りました。
この中で「美少女ケート」を「テイラノサウルス」が追いかけてくる件では、「小さな金色の生き物」として「ケート」を捕まえようとします。
「ケート」を食べようとする恐竜達は皆、「テイラノサウルス」に葬られてしまいます。
ですから、「誰もアンを捕まえに来ない場所」として、「コング」は「摩天楼」を選びそこに登ったのです。
その伏線になっているのが、1933年版では「テイラノサウルス」「プレシオサウルス」「プテラノドン」と言う「アン・ダロウ」を捕まえに来る「悪いヤツ」なのです。
処が、「アン・ダロウ」(フェイ・レイ)の方では、「コング」の事など、これっぽっちも思っていません(当たり前と言えば当たり前)。
「恐ろしい怪物」としてしか捉えていません。まるっきり「コング」の片思いの訳です。
そして、「摩天楼」での「非業の死」と言う場面にばく進して行くわけですが、1933年版はこの辺りが物凄く上手くて「人形が演技をする」と絶賛されました。
事実、ヘタな役者よりもず〜と上手いです。
その姿は「強大なる力を持つ原始の野獣」で在るが故に、その最期は哀れをさそい、名文句「美女が野獣を殺したのだ」が生きて来ると言う「絶妙の作り方」がされているのが1933年版。

しかるに、今回「ピーター・ジャクセン」は「原始の野獣」「キング・コング」に人間の「心」を移植した。
「コング」は人に非ず、しかし人よりも人らしい。
外見は「凶暴な野獣」なれど「心」は正に「人」と言う設定は「ジャック・ドリスコル」を軟弱そうな外見の「エイドリアン・ブロデイ」に演じさせた事からも見て取れる。
であるから、1933年版の「怪獣然とした巨獣コング」と言う設定を塗り替えて、「巨大なる類人猿コング」として描いたのに違いない。
この考え方は、以前の「ジョン・ギラーミン」版にも見られるがそれをさらに推し進めている。
しかし、少し待って頂きたい。
そもそも、「オブライエン」の「キング・コング」とは「巨大なる類人猿・巨大なるゴリラ」だったのでしょうか?
否、「コング」の設定は「ゴリラ」に似た「巨大なる怪物」だったはずです。
この当時1933年は、暗黒大陸アフリカで「マウンテンゴリラ」が発見されてからまだそれ程時が経っておらず、「マウンテンゴリラ」の生態そのものがまだまだ「未知」と言う所謂「未知の生物」であり、その為、「マウンテンゴリラ」のイメージをふくらませて創られたのが「キング・コング」であります。
ですから1933年版はあくまでも「怪物」なのです。
だから、「美女が野獣(怪物)を殺した」と言う図式が成り立つのです。
「猿人ジョーヤング」は「巨大なゴリラ」で在るが故に、人間と「心の交流」ができたのです。
私は今回の「コング」は「巨大なるゴリラ」である・・と感じました。

「キング・コング2」に続く・・。


2006年1月脱稿

(※本文中の敬称は略させていただきました)

著者紹介水野重康
49年、静岡県掛川市で100年以上続く医者の家に生まれる。
54年、『ゴジラ』を観て以後、映画にのめり込み、SFを中心として5000本近くの映画を観る事になる。
趣味を通じて、五味康祐氏、田山力哉氏、その他に師事する。
83年、生地に歯科医院を開業して現在に至る。

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