いなほ随想特集


戦時中の歌曲に見る日本人の心


板津直孚
(31文 西東京稲門会)



はじめに

♪戦争中の国民の気持ちを端的に表しているものとして、歌曲を取り上げてみたい。国民歌謡、軍歌、さらに何らかの形で奏でられた曲について触れてみよう。これらは、今日ではおしなべて評判がよくない。日清、日露の戦争の時代よりも質は劣るという人もいる。

♪今次大戦の歴史的意義は横に置いて、歌曲の価値だけを考えてみる。たんなる歌曲の愛好者に過ぎない者の立場から私見を言わせていただくならば、必ずしもそうとばかりは言い切れないのではないかと思う。曲のメロディ、歌詞その他から考えてみたい。

清らかな旋律ハイケンスのセレナーデ

♪戦時中、かなり長期間ラジオ放送『前線へ送る夕べ』のテーマ曲として流された。この番組は、日本の国内であったことを前線の兵隊さんに報告するプログラムであった。清らかで明るく、穏やかな中にも気持ちを高揚させる曲だった。この曲は戦後、『炭鉱の皆さんへ送る夕べ』の番組でも聞いたように思う。

♪ハイケンス(Jonny Heykens)1884年ー1945年:第2次世界大戦の終結後、ナチスドイツに対する協力的な姿勢を問われて収監され、獄中死しているが、同作品以外の曲が演奏されないのも、こうした事情が影響しているようである。(Wikipediaより引用)

♪私は、番組の内容よりも、この最初に奏でられる曲を聴くのを楽しみにしていた。同じような気持ちを抱く人はいるものである。故久世光彦が、この曲を聞いて感銘を受けたことを書いている。「この曲が兵隊さんに届いたら、泣いているだろうと思った」と。[遠からずやってくる私の最後のときに、この曲をリクエストするのも悪くないと思うのである」とも書いている。篠田正弘も少年時代にこれを聞いたという。

♪ハ長調でミソミの音、6度の音程が多く、明るさを感じさせるとともに広がりを意識させる。また1拍めと3拍めが軽く、スタッカートで、2拍め、4拍めが重い。舞踊曲を思わせるような、気持ちを高揚させる曲であり、リズム感もあると専門家は言う。

討匪行(とうひこう)

                                               八木沼丈夫 作詞
                                               藤原 義江  作曲

♪満州事変後、満州(現在の中国東北部)の地で日本軍に敵対する中国のゲリラ部隊、匪賊と戦う兵隊の苦しみを歌った歌で、1番から15番まである。


1番.どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ 三日二夜を食もなく 雨ふりしぶく鉄兜

2番.嘶(いなな)く声も絶え果てて 倒れし馬のたてがみを 形見と今は別れきぬ

3番.ひづめの跡に乱れ咲く 秋草の花雫して 虫が音ほそき日暮れ空

(4.〜13.省略)

14番.敵にはあれど遺骸(なきがら)に 花を手向けて懇(ねんご)ろに 興安嶺よいざさらば 

♪1番には戦いの厳しさが出ており、2〜3番は叙景的であるとともに繊細な抒情的な詩情が漂っている。14番の敵の遺骸に花を手向ける歌詞には、純粋なヒューマニズムを感じさせる。少年だった私には、戦の最中にこんな心境になれるのかしらとちょっと偽善的な綺麗ごとのようにも感じたのだが、満州事変後に大隊長として匪賊討伐の名目で治安維持に当った職業軍人だった父も「そんな気になるものだよ」と言っていた。

♪作詞者、八木沼丈夫は、元満鉄の社員、関東軍参謀部の嘱託で陸軍少佐、短歌の素養のあった人だったという。
作曲者、藤原義江はテノール歌手で、昭和9年に藤原歌劇団を創設以来、日本のオペラ運動の中心として活躍した。多少癖のある巻き舌で、よくこの歌を歌った。

♪討匪行が愛唱されたのは、歌詞がひじょうによかったのに加え、ト長調の四七(よな)抜き(注:ドレミの音階の4番目のファと7番目のシを抜いた音階)で、日本人の感性に合っていたことが上げられる。曲はシンプルで淡々としているが、歌詞がよいのでかえってそれを引き立たせているのである。なお、ヨナ抜きは、日本の民謡、その他の歌曲に多いが、イギリスの民謡にも多く、それが日本人のイギリス民謡好きの多い一因だと言われている。

白百合

                                              西條 八十 作詞
                                              大中 寅二 作曲

♪日華事変の初期に作られ、昭和13年NHKの国民歌謡として選ばれたもので、従軍看護婦を歌っためずらしい軍歌。1番から4番まである。

1番.夏は逝けども戦場に 白百合の花匂うなり
   清き白衣の赤十字 姿優しく匂うなり

2番.黄昏(たそがれ)野戦病院の ベッドに呻く兵(つわもの)を
   弟のごとく慰めて 巻く包帯に血は滲む

3番.乙女ながらも皇国の ために捧げし身なれども
   時雨の夜半にふと覚めて 夢は祖国へ駈けるらん

♪1番は野戦病院ながらも美しく表現されている。2番は現実を直視している。3番は抒情的で、しかもこういう気持ちになることもあろうと真実味を感じさせる。曲はイ長調、シャープ系の曲は、清らかで透明な明るさを感じさせる。少し寂しい、悲しい気持ちを明るい調子で奏でることができ、曲が一層引き立つのだろう。

♪作詞家、西條八十は早稲田大学教授で、フランス文学を講ずる一方、数多くの珠玉の詩を書いた。作曲家、大中寅二は、「椰子の実」の作曲家として有名。クリスチャンとして讃美歌の作曲も手がけている。そして、この「白百合」は「椰子の実」よりも讃美歌的な要素を強く感じさせると専門家はいう。W度→T度に持っていくアーメン終止の様式が用いられているところにそれが表われていると指摘する。

♪日清戦争のときの作と言われる「♪火筒(ほつつ)の響き遠ざかる」で始まる「婦人従軍歌」は「白百合」と同じような内容のものを歌った作品だが、どちらが優れているのだろうか。

◆戦勝の歓喜に潜む哀感

皇軍大捷の歌

                                             福田 米三郎 作詞
                                             堀内  敬三 作曲

1番.国を発つ日の万歳に 痺れるほどの感激を
   こめて振ったもこの腕ぞ 今その腕に長城を
   越えてはためく日章旗

(7番まで続くが、2番以下省略)
 

♪日華事変当初の朝日新聞公募の歌である。歌詞の内容に問題があり、けっして好意的に取り上げる訳ではないが、ちょっと触れておきたいことがある。この歌は、戦いの意義も分からず、緒戦の勝利(華北を中心とする)に沸き立っていたときに作られたものだ。曲には明るさ、力強さがあるのだが、よく聞いていると何か一抹の哀感というか、それに似たものを意識させる。それがどのへんにあるのか。専門家に言わせると、4小節目から始まる「♪痺れるほどの感激を」の「感激を」のところでW度の和音が当てはまるからだという。他方、ヘ長調、フラット系でメロディが美しく、西洋的な印象を受けるという人もいる。

♪作曲家は、哀感を漂わせようなどと意識していないだろうが、曲想を表現していくうちに結果としてそうなったのだろうか。漢の武帝の「歓楽極まりて哀情多し」のような心境から出たものか。勝利の悲哀という言葉が表われたのは、日露戦争後である。これに似た要素のある曲として、明治時代に作られたものを紹介しよう。

凱旋

                                            佐佐木 信綱 作詞
                                            納所 弁次郎 作曲

1番.あな嬉し喜ばし 戦い勝ちぬ
   百々千々(ももちぢ)の敵(あだ)は みな跡なくなりぬ
   あな嬉し喜ばし この勝ちいくさ
   いざ歌えいざ祝え この勝ちいくさ

♪単純な印象を与えるメロディで歌いやすい。ここでも哀感を感じさせるところがある。2、6、14小節のメロディの伴奏にW度の和音を使っているところだ。この歌はト長調、ヨナ抜きで比較的明るく日本人には歌いやすい曲である。

◆大衆的な軍歌

麦と兵隊

                                            藤田 まさと 作詞
                                            大村 能章  作曲
♪いままで見てきた曲より、もう少し大衆的な軍歌について考えてみたい。「麦と兵隊」は、当時歌われた曲としてはもっとも大衆的な歌だろう。歌詞も徒らに勇ましくなく、兵隊の気持ちを率直に表現したものである。徐州会戦に従軍した火野葦平の同名の小説『麦と兵隊』をテーマにした作品。


1番.徐州徐州と人馬は進む 徐州居よいか住みよいか
   洒落た文句に振りかえりゃ お国訛のおけさ節 髯が微笑む麦畑

♪以下5番まである。曲はイ短調で4分の2拍子、つまり行進曲の拍子、言葉に合ったリズムの曲になっている。レとソの音が抜けているが、一つの言葉に多くの音が入っているので、現在の演歌と共通している。歌詞も曲も戦場で戦っている兵士の気持ちを生き生きと表現している。眼鏡をかけた当時のインテリっぽい東海林太郎が、直立不動の姿勢で歌ったものだ。

愛馬進軍歌

                                            久保井 信夫 作詞
                                            新城  正一 作曲

1番.郷土(くに)を出てから幾月ぞ ともに死ぬ気でこの馬と
   攻めて進んだ山や河 執った手綱に血が通う

♪6番まで続く。昭和14年1月に[国民歌謡」の第40集として出版された。軍馬を愛護する気持ちを高めようとの意図で公募、選定された歌。ト長調でヨナ抜き、平易な歌詞と歌い易い曲で、銃後でも広く歌われた。「♪執った手綱に血が通う」に馬に対する生き生きとした愛情を感ずる。

◆太平洋戦争の勃発

♪昭和16年12月8日、大戦勃発。日本軍はいち早くマレー沖海戦でイギリスの戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを撃沈した。これは当時、何よりの快挙とみられた。「英国東洋艦隊潰滅」という軍歌が作詞、作曲された。作詞は高橋掬太郎、作曲は古関裕而だった。まことに明るく力強い作品だが、なぜか数多く軍歌が収録されているカラオケにも入っていないし、譜面も集め難い。

♪ニ長調、シャープ系の曲で、透明な明るさ、広がりと高揚感を持った曲である。これほど明るい印象を与えた曲は少ないのではないだろうか。この曲が名曲であったのかどうか分からない。ただ藤山一郎が非常にはっきりした口調で歌ったのが、歌詞は印象にないのだが、私には好感が持てた。

♪しかし、現実にプリンスオブウェールズを撃沈した軍人の気持ちは複雑である。撃沈したのは壱岐海軍大尉で、その心境を「中央公論」で述べている。彼は英国海軍を模範として、日夜研鑽と訓練に勤しんできたという。その大先輩海軍国の戦艦を破ったことに対しては、本当に厳粛な気持ちだったそうだ。もちろん、任務を達成したことに対する満足感はあったと思うが、沈んで行った乗組員たちの冥福を心から祈ったという。そして、翌日、飛行機で現場の海に飛び、花輪を捧げて合掌をした、と。

♪当時、歌われた曲で、やはり私が明るい印象を受けたものを上げておきたい。

大日本青少年団歌

                                            市瀬 正生 作詞
                                            富原 薫  作曲

1番.若き者朝日の如く新たなる われら大日本青少年団
    ああ御稜威(みいつ)あまねきところ 空は晴れたり空は晴れたり
    いざ共に聖恩の旗仰ぎつつ 勅語(みこと)を胸にわれら起たん

3番まで続く。これは軍歌と呼ばれるものではなく、当時の私たち少年が何かで集まったり、みんなで何かを行ったり、行進したりするときに歌った。歌詞はまったく戦前調で、いま見ても何の感興もないというより違和感を感ずる。当時は意味を考えることもなく、ただ歌ったという記憶がある。ところが歌を口ずさむと非常に明るい印象を受け、快感に似たものさえ感ずるのである。吹奏楽で演奏するのにもってこいの曲だ、と専門家は指摘する。

戦友の遺骨を抱いて

                                               達原  実 作詞
                                               旧海軍軍楽隊 作曲

1番.一番のりをやるんだと 力んで死んだ戦友の
   遺骨を抱いて今入る シンガポールの街の朝

(2番省略)

3番.負けず嫌いの戦友の 遺品(かたみ)の旗をとりだして
   雨に汚れた寄書を 山の頂上に立ててやる

♪1番から5番まである。変ロ長調、ヨナ抜き、比較的明るいメロディだが、いまに通ずる演歌調が見られる。それは「♪やるんだと」とコブシを利かせるところに表われている。この歌は、感傷的で士気を阻喪させるということで、上層部は禁じたが、いくら禁じても歌われたのである。兵士たちの気持ちにアッピールする何かがあったのだ。シンガポールを占領した喜びは、どこにも出ていない。カラオケなどでいまでも歌われている。

勝利の日まで

                                              サトウ・ハチロー 作詞
                                              古賀 政男 作曲


1番.丘にはためくあの日の丸を 仰ぎ眺める我等の瞳
   何時かあふるる感謝の涙 燃えて来る来る心の炎
   我らは皆な力の限り 勝利の日まで 勝利の日まで

♪以下、4番まである。昭和19年3月、日蓄から発売された。朗らかで明るい曲であった。よく歌われたが、戦局の悪化の影響か、どうも気勢は盛り上がらなかった。いまでもこの曲をよい歌として回顧する人がいる。

♪このほか戦争末期に生産向上を狙って「勝利の生産」という歌曲がラジオでよく放送された。作詞は下 敦子、作曲は信時 潔で、上品な明るい曲だった。明るいなかにわびしさのようなものを感じたが、戦局がやはり何らかの形で反映していたのかも知れない。いまでも聞いてみたい歌曲である。現在、CDにはなく、譜面も見たことがない。

◆おわりに

♪戦時中の歌曲を大雑把ながら辿ってみた。まさに多種多様である。戦局を反映しながらも、その作品は繊細で芸術性を感じさせるもの、勇壮なもの、特に明るいもの、大衆の情緒を引きつけるもの、とさまざまである。これらを眺めてとくに感じた点が一つある。それは当時は、作詞者も作曲者も為政者から絶えず戦意高揚の作品を作ることを強く求められていた一事だ。それにもかかわらず、大衆の心を本当に掴んだ作品が多くつくられていたことである。

♪一つ例を上げよう。昭和14年というと戦時体制がいよいよ本格化して、それこそ一億の底力を出せ、という雰囲気になってきたときだ。そんな中で[湯島の白梅」が作られている。いかに権力者が、女々しいとか勇壮さがないと言っても、大衆の心を押しつぶすことはできない。

♪大衆が求めているものは、権力者の要請とは別の水路をこんこんと地下水のように流れていたのである。こうした大衆の心からは、明治以来学んできた西洋音楽の様式に日本人特有の言い回し、節回しなどを加味して、今日の演歌にまで繋がっているのである。

注:執筆に当っては、「日本の唱歌集」(講談社文庫)、「思い出の軍歌集](野ばら社)、「マイ・ラスト・ソング」(久世光彦 文芸春秋社)を参考書とさせていただいた。(2010年1月5日投稿)
♪BGM:J.Heykens[Serenade]♪

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