努力精進せよ


 京都の栂尾に高山寺を再興した明恵上人は、雑炊が大好物だった。
ある日、弟子が特製の雑炊をつくって上人の食膳に供したところ、「ほう、雑炊か。何よりのご馳走だ」とニコニコして箸を取り上げ、ひと口食べて「うまい。今日は格別いい味加減じゃのう」といわれた。
弟子が喜んで「はあ、今日はいい材料がございましたので」と言った。すると上人は、二口目を食べようとして、ふと、思案に沈んだ面持ちとなり、急に箸をおくと、無言のまま障子の桟を擦って、その指先を舐められた。
 弟子は障子の桟の埃に気付かれたのかと思って「掃除不行き届きで申し訳ありません」と謝った。すると上人は言われた。
「いや、そうじゃないんだ。雑炊を一口食べてみて『ああ、うまい』と思った時、わしは食べ物に執着する醜い自分の姿を見出したのじゃ。
『師匠は雑炊が好きだから』といってお前たちに特別の雑炊をつくらせる。わしを思ってくれる親切は有難いが、食べ物に対する執着は慎まなくてはならぬと反省させられたのじゃ。いま障子の桟の埃を舐めたのは、舌の先のとらわれから逃れるためじゃったのだ」
 一瞬の怠りもなく自省に自省を重ね、努力精進しておられるから偉いのだと悟らされるエピソードである。



心の中に「素直な物差し」を持つ


 『般若心経』の教えを簡単に言えば、「物には物差しはない。物差しは自分自身の心が持っている」という教えだと聞いたことがある。
 たとえば、ふだんはせいぜい60点前後の子どもが、テストで90点をとってきたとする。するとお母さんは、「まあ、素晴らしい」と嬉しくなるはずだ。ところが、平均点が95点と聞いた途端に、大部分のお母さんは「なんだ、うちの子は平均以下じゃないの」とがっかりする。

 ボーナスでも同じだ。百万円もらって喜んでいたら、同僚が自分よりも一万円でも二万円でも多かったと聞いた途端にがっかりする。
 また、金持ちや政治家だったら、なんだ百万円かと思うかもしれない。

 このように同じものが、気分が変わると違って見えてきたり、人が変わると違って見える。何事も銅見えるかは、その人独自の、自分勝手な、その時々の気分に左右された物差ししだいなのである。
 では、どうするか。何事にも、素直に「わあ、すごい」と喜べばよいと教えている。そう思うことができるようになるには、布施の心を実践することだそうだ。



とりあえず”期間限定”で「悪習」は追放しろ!


 この頃アレルギー疾患が増えているが、小学校六年生のA子さんもアトピー性皮膚炎に悩んでいた。彼女は間食が多く、就寝時間も遅い。両親は、そんことをいつも厳しく注意していた。しかし、叱れば叱るほど、隠れて買ったり友達からもらって食べていた。
 相談を受けた心療内科の先生は、両親と同じアドバイスを繰り返したところで結果は見えているのでひと工夫する必要性を感じた。
本人の生活だけでなく両親と妹の生活の様子も詳しく尋ねたところ、家族みんなそれぞれに改善を望んでいることが分かった。お父さんは胃潰瘍の経歴があるのに酒を飲みすぎること。お母さんは友達への長い時間の遠距離電話のために電話代が数万円になること。小学校四年生の妹はテレビやマンガを見すぎて宿題を忘れることがたびたびあること。
そこで家族みんなと話し合って、「夏休みの間だけ、長女は禁隠れ間食を、お父さんは禁酒を、お母さんは禁電話を、妹は禁テレビを実行すること」と取り決めた。
 疑問半分ではじめたところ効果はてきめん、翌日から長女の食生活は改善され、菓子類を食べなくなって皮膚炎も快方に向かった。
 要は、みんなの気持ちをどう伝えるかなのである。




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