第一章:最初の兆候

2007年9〜10月




9月下旬のある日、私がソファに座っていたら、いつものようにみぬが甘えて私の膝に飛び乗ってきた。
「みぬは甘えんぼだねえ」
私が体を撫でると、みぬは大きな瞳を細めた。ふと見ると、左側のひげが数本枝毛になっていることに気づいた。
私はみぬの横顔を左からデジカメで写真に撮り、翌日猫好きな同僚に社内メールで送った。
「枝毛が出来ちゃうなんて、ちゃんとトリートメントしなきゃだめだよね〜」と言って、二人で笑った。人間でも枝毛ができるということは髪に栄養が行き届いていない状態なので、もしかしたら栄養障害が起きているのかな?と、多少の不安はあったが、枝毛になっているのは左側のひげだけだし、被毛も艶々できれいだったので、恐らく妹のフローラとプロレスごっこでもしてひげが折れたのだろうと思った。ただ、これに加えて、最近痩せてきたのも気になっていたので、少し食事の量を増やしてみたが、結局食べ残してしまったので、従来どおりの食事量に戻した。


10月15日から17日まで、フィラデルフィアで仕事関連のセミナーがあった。10月18日、私はまだ夜も明けぬうちにフィラデルフィアのホテルをチェックアウトし、朝一番の飛行機に乗った。サンフランシスコ空港まで5時間のフライトだが、時差が3時間あるので、午前中にはサンノゼの自宅に帰りついた。
7月に新居に引っ越して以来、初めての出張。いつも外出中は多少なりとも猫たちが元気でいてくれるかどうか心配になるが、今回は新しいペットシッターに猫たちの世話をお願いしたためか、3泊の比較的短期の出張だったのに何か不安を感じていた。そのため、少しでも早く家に帰りたくて、多少無理をしてでも早朝のフライトを予約したのである。

会社が用意してくれたリモを降り、ドアを開けると、いつもどおり玄関でみぬとフローラが私を迎えてくれた。
「ママ、帰ったよ。元気してた?お留守番お疲れ様。」
荷物を床に置いて、二匹の猫の背中を撫でた。二匹は、いつも私が泊りがけの外出から帰ったときと変わりなく、落ち着きなく歩き回り、私に体を摺り寄せてきた。

まずはトイレを掃除しなければと思い、猫用トイレの置いてあるベッドルームに行ってみて驚いた。排泄物をカーペットの上に引き摺った跡があったのである。環境の変化に敏感な猫のことなので、恐らく新居に引っ越して初めて私が外出したこと、新しいペットシッターさんにもまだ馴染んでいなかったことが原因かと思った。
猫用トイレを掃除すると、中から今まで見たことないような巨大な猫砂の塊が出てきた。いつもは私が日曜日に一週間分の猫用ご飯を手作りしているが、流石にペットシッターにお願いするときには市販フード、特にドライフードが便利なので、ドライフードを食べて喉が渇いたため飲水量が増えた結果、尿量も増えたのだろうと推測した。
それ以外には特に異変もなく、猫たちも元気でいてくれたことで、とりあえず一安心。まだ正午で、出張中仕事も溜まっていたので、そのまま私は会社に向かった。

それ以来、みぬが度々水を飲む姿を見かけるようになった。今までドライフードをあげるとよく水を飲んでいたが、ウエットフードや手作り食で水を飲むことは殆どなかったので、どうしたのだろう?と気になった。実は、両親が飼っていた猫が慢性腎不全を患ったとき、最初に異変に気づいたのが水をがぶ飲みするようになったことだったと聞いていたので、猫が水を飲むようになるということは、何か悪い病気の兆候かも知れないということには気づいていた。しかし、両親の猫は享年13歳で、腎不全に気づいたのは10歳前後だったのに対し、みぬはまだ6歳か7歳、慢性腎不全を患うには若過ぎるような気がした。

たまたま体調や食べ物の関係で喉が渇いただけかもしれないと思い、それから数日間様子を見ることにした。市販フードといっても、ナチュラルブランドの良質の缶フードをあげていたが、それでも手作り食のときより市販フードのときの方が飲水量が多いように感じた。国際電話で日本の母に電話すると、母曰く、
「キャットフードって、結構塩分多いみたいよ。自分で食べてみなさいよ。うちの(腎不全で亡くなった猫)も、あんなの食べてたから腎臓悪くなったんだよ」
とのことだったので、恐らく缶フードの塩分が原因で喉が渇くのかと思った。
しかし、みぬの様子を観察していると、私の手作り食でも度々水を飲む姿を見かけるようになった。当然手作り食には食塩など一切入れていない。同時に、毎朝猫用トイレを掃除するたび、尿量が多すぎて、猫砂がきれいな塊になっていないことに気づいた。食欲の方は寧ろ増えたようで、食事のスピードも早くなり、今まで見向きもしなかったトリートもものすごい勢いで食べるようになった。よく食べるなら元気…と思いたいところだが、それにしても毎回、まるで何日も食べていなかったかのように、齧り付くような食べっぷりだった。

一日の間に何度も水の入ったボウルへ行き来するみぬを見て、私は「猫」「多尿多飲」をキーワードに、可能性のある病気をネットで検索した。主に引っかかってくる病名は、「慢性腎不全」「糖尿病」「甲状腺機能亢進症」。このうち、少なくとも慢性腎不全ではないことを祈った。この病気になると、腎機能は再生することがなく、僅かでも残った腎機能を死ぬまで維持させる治療が必要になることは、実家の猫の例からわかっていた。老猫なら腎機能が失われるのも必然的だとしても、みぬはまだ若い。
一方糖尿病の原因や症状を見ると、「肥満猫に多い」とのことで、みぬは昔から痩せ気味だし、それにできるだけ良質のフードや手作り食を与えているので、これは有り得ないだろうと思った。
食欲増加も著しいので、もしかしたらこれらの疾患の中では甲状腺機能亢進症が一番当てはまるかも?とりあえず、血液検査をしてみないと、素人判断ではどこが悪いのか分からない。

「ああ、また水飲んでる。どうしたの?どこが悪いの?」
半ばパニックになりながら、かかりつけのキャットホスピタルに電話をかけた。
「とにかく、水を飲むんです。尿量も増えたような気がします。他はどこも悪くなくて、食欲もあって元気そうなんですけど」
キャットホスピタルの受付の女性に説明し、翌朝8:40に診察の予約を入れた。



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