第二章:診断2007年10月31日、11月1日
朝からみぬを捕まえてキャリーケースに入れるのに一苦労した。水をやたら飲む以外には全然元気なみぬ。リビングルームを走り回り、ソファの下にもぐったみぬを何とか背後から外におびき出せたかと思うと、今度はベッドルームに逃げ込み、ベッドの下に潜ってしまった。流石にこれではお手上げである。最後に何とかキャットニップを使ってみぬをベッドの外におびき出し、やっと捕まえることができた。これだけ元気なら全然問題ないだろうとさえ思った。 キャットホスピタルに着くと、赤いマント、ペールグレーのカラーコンタクトに長すぎる着けまつげ、牙を剥いたドラキュラのような女性が受付に立っていた。 「そうか、今日はハロウィーンだったんだ」 受付には3人ほど女性がいたが、みんな思い思いに仮装して、異様な雰囲気だった。笑いたくなるのをこらえながら、私はドラキュラ女にみぬの最近の状況を説明した。彼女は私のファイルを取り出し、「男の子、女の子、どっちの方ですか?」と訊いてきた。 「男の子。みぬの方です。」 「どんな症状ですか?」 「最近水をよく飲んで、尿も多いみたいなんです。」 「食欲は増えましたか、減りましたか?」 「増えたと思います。その割りに全然太らないんですけど。」 ドラキュラは、カルテに私が説明した内容を書きとめた。 待合室で待っている間、まず私は携帯電話で会社に電話をし、仕事に遅れることを事務職の女性に連絡した。みぬは私の横で何度か不安そうに「にゃ〜」と鳴いた。私はナイロン製のキャリーケースの外からみぬの鼻に触れ、「大丈夫だからね。」と声をかけた。みぬは待合室で待っているほかの猫たちの存在が気になっていたようだった。 今回みぬを診察したのは院長先生だった。キャットホスピタルには毎年みぬとフローラを定期健診に連れて来ているが、院長先生に当たったのは初めてだった。白人にしては小柄で、白髪交じりの口髭及び顎鬚を生やした皺の深い男性だった。笑顔がフレンドリーで、優しそうな雰囲気だった。新しい先生に当たるたび、いかにその先生が猫が好きそうかは気になるところである。 キャリーケースを開けると、不安げな顔のみぬが顔を出した。私は「大丈夫、大丈夫」と言いながら、何度かみぬの体を撫でた。院長先生は、みぬの内臓の状態をチェックするため、慣れた手つきで念入りにみぬのお腹の当たりを触診した。今まで女性の獣医に当たることが多かったので、男の先生があまりにも力強くみぬの体を揉むのを見ていて、本当に大丈夫かと思ったが、みぬは特に痛がってもいない様子。ある一定箇所で特に時間をかけていたので、早くも何か悪いところが見つかったのかと思ったが、先生曰く、 「腎臓は特に問題なさそうだ。膀胱は空っぽ。消化機能も、若干弱っている感じもしないでもないけど、それほど問題ではない。血液検査と尿検査をしたら何か分かるかもしれないね。」 とのこと。流石、猫専門病院の院長先生。触っただけでこれだけわかるとは素晴らしい。とりあえず私は腎臓に問題がないと知って安心した。 「そうだよね、どこも悪くないよね」 しかし、次の瞬間、先生がみぬを体重計に乗せると、体重が予想以上に減っていたことにショックを受けた。一番重いときで11ポンド(約5Kg)あったのが、今は9.5ポンド(約4.3Kg)しかない。 「え、減ってる…。」急に不安に襲われた。 でも、触診で異常がなかったということは、血液検査をしてみないとまだはっきりしないが、とりあえず一番恐れていた腎不全と悪性腫瘍の可能性は排除できたということで、採血及び採尿のためみぬをキャットホスピタルに預けて会社に行くことにした。血液及び尿の検査は外部に委託するので、結果が出るのは翌日の朝になるとのことだった。 翌日、キャットホスピタルの始業時間にあわせて8時前に電話をかけて血液及び尿検査の結果を問い合わせようとしたが、結果が出るのは10時以降になるとのことだった。いつも通り8時半に出社したが、10時になるまで仕事が手につかず、インターネットで猫の病気についての情報を検索し続けていた。 「尿量が増える病気で、腎不全じゃないとしたら、他になんだろう?」 時計が10時を回ったところで、会社の電話からキャットホスピタルに電話をかけた。今日は院長先生がオフとのことで、女医のM先生に電話が繋がった。彼女はみぬの血液検査及び尿検査の結果を見ながら、 「糖尿病ですね。血糖値が高く、糖が尿にまで漏れてきています。でも、今の段階ではいきなりインスリンを打たず、経口薬で様子を見ることにします。今日お薬を取りに来てください。」 と言った。 意外な診断結果が信じられなかった。「糖尿病って、太った猫に多いんじゃなかったの?みぬは痩せているのにどうして?」 その日の午後、仕事を抜け出してキャットホスピタルに処方された薬を受け取りに行った。ハロウィーンから一夜明け、受付嬢たちは至って普通の服装をしていた。グリピザイドという経口血糖降下剤のほかに抗生物質が処方されたので、私は「何故抗生物質が必要なのですか?」と受付嬢に訊いた。私自身日本で薬剤師免許を有しており、多少なりとも薬の知識があるので、不要な薬は自分でも飲まないし、愛猫にも飲ませたくなかった。受付嬢の回答は「尿潜血が若干あったみたいなので」とのことだった。「何の菌に感染してるか分からないのに抗生物質なんか出すな!」と思ったが、私はそれ以上何も言わずに黙って薬を受け取り、受付嬢に血液検査及び尿検査結果のコピーをお願いした。 車に戻って検査結果を見て、血糖値の高さに驚いた。525もある!人間ならかなりの重症であり、神経障害等が出て命に関わる数値である。M先生の電話での口調では、今のところ大したことなさそうに聞こえたのに…。尿糖は3+、これもかなり高い。ただ、ケトンが出ていなかったので、恐らくこれでM先生は重症ではないと言ったのであろう。 職場に戻り、グリピザイドについて調べた。人間ではII型糖尿病、すなわちインスリンが多少なりとも分泌されている場合に処方されるものらしい。この薬は、膵臓に作用してインスリンの分泌を促すものなので、インスリン分泌機能が完全に失われた患者には無効なのである。先生の治療方針は、まず膵臓が少しでも機能していることに期待をかけて、まずグリピザイドでインスリン分泌を促してみて、それで効果がなければインスリン注射に切り替える予定らしい。 夜、仕事の後で習い事を終え、家に帰ったのは8時過ぎだった。まず、指示されたとおり、グリピザイドの錠剤を二つに割った。そして、みぬを捕まえ、口を開けて舌の上に錠剤の片割れを乗せた。実はみぬは数年前に喘息を患ったことがあったので、錠剤の飲ませ方については経験があった。みぬは嫌がっていたが、口を閉じて喉をさすると、錠剤を飲み込んだ。その後、いつも通りに手作りの夕食を出すと、豪快に食べた。糖尿病だと異常にお腹が空くようで、特に最近の食べっぷりにはすごいものがあった。
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