第八章:退院、ランタス開始

2007年11月13日



11月13日、火曜日の朝、みぬが今日退院できるかどうか確認するため、会社から病院に電話した。電話に出た受付嬢曰く、
「P先生は今回診中です。終わったら折り返し電話するよう伝えておきます。」
とのことだった。

午後まで待っても、内科のP先生は忙しかったようで、なかなか電話がかかってこなかった。道路状態によってはサンタクルーズの病院まで一時間半かかるので、閉院時間が6時であることを考えると、少なくとも4時には連絡が欲しかった。
3時まで待ったが、待ちきれなくなってこちらからまた病院に電話をかけた。
「みぬは今日退院できるんですか?」
受付嬢はファイルを確認し、「はい、みぬちゃん、今日退院できますよ。でも、今P先生は忙しくて電話に出られないんですけど。」と答えた。
「退院時にインスリン注射の指導を受けなければならないんです。夕方のラッシュ時になると、ここからサンタクルーズまで一時間半かかるんですけど…。」
結局P先生からの連絡を待たず、6時に病院に着くように会社を出ることにした。

「急ですみません。」
私は翌日有給休暇を取るため、上司に休暇届を提出した。みぬが退院後もちゃんと元気でいるかどうか、一日家にいて見ていてあげたかったのである。休暇届には、理由としてヴァケーション、家族介護、慶弔等の選択肢があり、「これは家族介護だ」と思ったが、流石に人間の子供でない限り理由として認められないと思ったので、ヴァケーションということにした。当然上司も私が独身で子供がいないことは知っていた。上司は私より数歳だけ年上の女性で、別に正直に理由を話しても差し支えなかったが、詳しい理由は話さず、「家にはいますので、緊急時には携帯に電話してください」とだけ伝えた。

夕方4時半を回ったところで、私は仕事を切り上げてサンタクルーズの病院に向かった。山道に差し掛かったところで、携帯電話が鳴った。P先生からだった。
「生憎今病院にランタスの在庫がないので、ドラッグストアまで行ってもらうことになりますけど、みぬちゃんを引き取る前にドラッグストアに行きますか?それとも引き取ってからにしますか?先にドラッグストアに行くなら、前もって処方箋を送っておきますけど。」
何だかよく分からなかったが、「でしたら、先にランタスを購入してからお伺いします」と答えると、P先生は、
「でしたら、ロングスドラッグに処方箋を転送しますので、先にロングスでランタスを購入してから来てください。」
と言った。しかし、サンタクルーズの病院の近辺の地理など全く分からない私は、ロングスドラッグがどこにあるのか分からないというと、P先生から電話が受付嬢に転送され、受付嬢がロングスドラッグへの行き方を説明してくれた。
「病院と同じ通り沿いに、ワコビア銀行やマクドナルドがあるショッピングセンターがあります。そこに入るとロングスドラッグがあります。ショッピングセンターの駐車場は、うちの病院の駐車場まで繋がっていますので、お薬をピックアップしたらそのまま駐車場を通って病院まで来てください。」
「あの、迷ったらどうしましょう?」
「わかりやすいので、迷うことはないですよ。」

山道を越えるまでは何とか渋滞に嵌らずスムースに行ったが、山を越えたところで案の定、帰宅ラッシュに嵌った。しかし、予定の時間の10分前にはフリーウエイを抜けることができた。ここまで来れば、病院まで数分である。もう日も暮れて暗かったし、方向感覚にあまり自信の無い私は、無事ロングスドラッグを見つけられるか不安だったが、なるほど、受付嬢が言ったとおり、ワコビア銀行は簡単に見つかり、角を曲がるとすぐにロングスドラッグがあった。

薬剤師に名前を聞かれたので、私の名前を名乗ると、「いや、貴方の処方薬はここにはありませんけど」とのことだった。
「先生から数分前に連絡があったはずですけど?インスリンですよ。」
「ご自分で使用されるのですか?」
「いいえ、私じゃなくて、え、あの、猫です。」
「猫ちゃんのお名前は?」
「みぬ。M-I-N-O-Uです。」
インスリンはみぬの名前で処方され、ラベルにはみぬの名前がプリントされていた。

インスリンを受け取った後、病院に直行した。閉院時間の6時を数分過ぎていたが、それでも更に数十分待合室で待たされた後、診察室に通された。
内科医のP先生とはみぬの入院中数回電話で話したが、直接会うのは初めてだった。電話でもはきはきと分かりやすい英語で話していたが、実際会うとイメージ通り、大柄ではきはき話す女性だった。
「まず、ランタス朝晩1単位ずつから始めます。多分これでは足りないと思うけど、インスリンに体を慣らすため、少な目の量から始めて、必要に応じて量を増やしていきます。一週間後にグルコース曲線の状態を見るため、病院に連れて行ってください。ここに連れてきてもいいけど、家はサンノゼでしたよね?受付でサンノゼ近辺の内科を紹介してもらってください。」
「いつも行っているキャットホスピタルじゃだめですか?」
「できれば内科の専門医の方をお勧めします。ランタスは比較的新しいインスリンだから、キャットホスピタルの先生が使用経験があるかどうか分からないし。」
その他、抗生物質を処方され、更に胃薬をドラッグストアで買って与えるように言われたので、
「まだ胃薬や抗生物質がが必要なんですか?」
と訊くと、先生はいずれも退院後一週間は与え続けるよう指示してきた。薬剤師の私として、必要の無い薬はできるだけあげたくなかったのだが…。
尚、食事はピュリナの処方食を与えるよう強く勧められた。
「いつも手作りご飯をあげているという話だったけど、ピュリナの処方食は効果が立証されているので、こちらの方をお勧めします。みぬちゃん、この処方食よく食べてましたよ。」
朝晩缶を与え、お腹が空いたときのためにドライフードを置いておくように言われた。それでなくても糖尿病で喉が渇くのに、ドライフードなんて与えたら益々喉が渇くだろうに…。

P先生が診察室を出ると、看護師がみぬと一緒に診察室に入ってきた。ランタスのバイアル、練習用の生理食塩水、及び注射針を持っていた。
「まず、インスリンは激しく振らないようにしてください。冷蔵庫に保存すれば6ヶ月は持つけど、3ヶ月ごとに買い換えることをお勧めします。与える量は朝晩1単位ずつ。この注射器で1目盛です。」
「え?これだけですか?」
1目盛は、想像していたよりずっと小さかった。そもそもこの注射器は人間用である。
「首根っこの皮をこうやって持ち上げてピラミッド状にして、ピラミッドの根元のところの毛をよけて地肌が出たら、そこに針を刺します。じゃ、やってみて。」
私が看護師の指示通りに生理食塩水を注射すると、みぬは嫌がって逃げようとした。
「痛くないんですか?」
「痛くないですよ。」
猫が痛がってるかどうかなんて、看護師に分かるのか?と思った。

受付でみぬの入院中の検査データ及びピュリナの処方食(ドライと缶と両方)を受け取り、山道を40分かけて帰宅した。みぬがこの病院に入院して以来、この道を往復するのは3回目だった。体調がまだ回復していなくて鳴く気力が無かったからか、それともいい加減車に慣れたからなのか、みぬはずっと静かだった。家に帰りついたのは7時を少し過ぎた頃だった。


玄関でキャリーケースを開けると、みぬはふらふらとおぼつかない足取りでリビングに歩いていった。ガリガリに痩せた体がまだ痛々しかった。晩御飯を出してあげたが、全く口をつけず、ソファの下に潜ってしまった。病院ではよく食べていたという話だったが、本当に今日退院して大丈夫だったのかと思った。インスリンは食事の後で注射するよう指導されたが、この日は結局全く食べなかったので、指示通り処方量の半分だけ、つまり0.5単位だけ注射した。

一方私は、今後みぬの自宅療養に必要なものをドラッグストアに買いに出かけた。まず、P先生から勧められた胃薬の錠剤。そして、万が一インスリンの打ちすぎで低血糖を起こしたときの応急処置のためのコーンシロップ。更に、自分でも血糖値の検査が出来るようにと、血糖値測定器を探した。ガラスケースの中には様々なメーカーの血糖値測定器が陳列され、私自身血糖値など気にしたことが無かったので、どの測定器がベストなのかよく分からなかったが、アボット社のFreestyle Liteが半額になっていたのでそれを買うことにした。





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