みぬとままの出会い

2003年4月




私がアメリカに渡って4年目の4月。丁度仕事にも生活にも慣れ、まずまず快適な日々を送りながらも、マンネリ感を感じ始めていた。また、一人で渡米し、しかもスタートアップの小さな会社で働いていたせいもあり、同年代の友人も少なく、寂しさも感じていた。
そんなとき、ふと手にした本があった。
タイトルは、「The Feline Mystique: On the Mysterious Connection Between Women and Cats (猫の神秘:女性と猫の神秘的な結びつきについて)」。
この本の冒頭には、以下のようなくだりがある。

「私には一体愛する人が出来ることがあるのかしら?」10年ほど前、私はセラピストに幾度となく訊いた。「私には、両親以外で、誰か6ヶ月以上関係を続けていけるような人が見つかるのかしら?」何故かその週、私は特に自暴自棄になっていた。
「もう出会っているのよ。」その小柄で博識にあふれた女性は答えた。「私は貴方がその人と共に学び、成長し、共に生きている姿を見てきた。」私はそれが誰のことだか彼女が言うのを待っていた。「でも、幸か不幸か、その関係とは貴方と貴方の猫のことなのよ。」


本著は、著者の女性が一匹の猫と出会い、共に暮らし、そしてその猫が他界するまでを綴ったものである。両親が猫を飼っていたせいもあり、猫好きだった私は、ただ暇つぶしにと思ってこの本を買ったのだが、読んでいくうちに、自分もこんな素敵なパートナーと人生を共にしてみたいと思うようになった。捨て猫が私のところに舞い込んで来るようなことはないのか?などと考えていた。

そんなある日、いつも通り会社で仕事をしていたら、同僚の男性が私のオフィスのパーテンションをノックした。同僚といっても、定年退職制度のないうちの会社のことで、彼はもうおじいちゃんである。東欧出身の彼は、成人する前からアメリカに住んでいたにも拘らず、未だに強いお国訛りで話す。訛っていながらも、単語単語切って話すせいか、聞き取りやすい英語である。
「Do you like cats?(猫好き?)」
私は何のことだ?と思ったが、猫が好きなのは事実なので「Yes」と答えた。すると、彼の二つ目の質問は、意外にも
「Do you want a cat?(猫欲しい?)」
だった。
私は少し戸惑ったが、丁度上記の通り猫との生活を夢見ていたので、「よくわからないけど、興味はあります」と答えた。
「どんな猫なんですか?」
「茶色のトラ猫だ」
「ショートヘアですか」
「ショートヘアだ」
「年は幾つ位ですか?」
「恐らく2-3歳だろう」
「男の子、女の子、どっちですか?」
「たぶん女の子だ」
両親の猫がロングヘアで、いつも体に毛玉を作って母がブラッシングに苦労するのを見ていたので、一人暮らしで仕事を持つ私はできるだけ手入れの楽なショートヘアがよかった。また、子猫でなければならないとはいわないが、できるだけ永く一緒にいられるためには若い方がよかった。少なくともこれらの条件にはぴったりである。
「興味はあります。でも、少し考えさせてください」

その日、家に帰って、日本にいる母親に電話をした。
「お母さん、私が猫飼いたいって言ったらどう思う?」
「何、あんた。猫なんか飼うの?」
「いや、まだ決めてないんだけど、同僚が餌をあげている野良猫がいてさ、彼のところでは猫が飼えないから飼い主探してるんだって」
「どんな猫なの?」
「茶トラだって」
「子猫なの?」
「多分2-3歳位だって言ってた」
「やめておいた方がいいんじゃないの?あんた、旅行だって出張だって行くでしょう。それに、どうせ飼うなら子猫にしなさい」

翌日母から電話がかかってきた。
「お父さんが、猫なんか飼ったら日本に帰ってこなくなるから止めとけって言ってるよ」
お父さんがと言いつつ、恐らくこれが母の本音だったのだろう。

ということで、私の両親は私が猫を飼うことに対してあまり好意的ではなかったのだが、私の心は決まっていた。ペットショップに行き、猫を受け入れるに当たって必要なものを買い揃えた。 食事用と水用の器、トイレ、トイレの砂、キャットニップ…。「トイレの躾ができていなかったらどうしよう?」などと多少の不安を感じながらも、これから受け入れる新しいルームメイトに心が弾んだ。

そして翌日、私は仕事が終わってから、同僚のおじいちゃんの家に猫を見せてもらいに行くことにした。
家に帰って、餌入れやトイレなど猫を受け入れる準備をしていたら、電話が鳴った。
「今うちに猫が来ているよ。見に来たかったらおいでよ」

彼のアパートの駐車場に車を止めると、彼と奥さんが私を迎えてくれた。見ると、アパートの階段の下に、猫がいた。
すらりとした長い体、明るい茶色の毛並み、スッと尖った鼻…。私がよく日本で見ていたような野良猫とは少し雰囲気が違った。
奥さんがドアを開けると、その猫はアパートの中に入っていき、カリカリ音を立ててドライフードを食べ始めた。そして、食べ終わると、猫は奥さんの膝の上に飛び乗った。初対面ながらも、私を見ても特に怯えるでもなく、抱き上げて膝に乗せても嫌がりもしなかった。
彼らは猫のことを「ミッキー」と呼んでいた。「なんで猫なのにネズミの名前なんか付けてるんだ?」と思った。奥さんが、猫にいつも与えている餌等について説明してくれたが、彼女はおじいちゃんと同じ某東欧の国の出身で、あまり英語が話せないため、おじいちゃんが通訳してくれた。彼女が与えていたのは、普通にスーパーで売られているような安価なキャットフードだった。因みに当時の私には猫にとって安物のフードがよくないなどという知識はなく、ただ知っていたのは猫は食べ物の好き嫌いが激しく、嫌いな食べ物は徹底して食べないということだけだった。
そして、ついに猫はおじいちゃんに捕獲され、小さなキャリーケースに押し込められた。
「僕たちが君の車の後を追うから、家まで先導してくれないか?」
こうして、猫はキャリーケースに入れられて奥さんの膝に抱かれ、おじいちゃんの車で私のアパートに到着した。

私のアパートでキャリーケースを開けると、猫は部屋の中を散策し始め、バスルームの前に準備しておいたトイレに入った。
「トイレの使い方分かってるんだ」
私は奥さんと目を合わせ、お互い微笑んだ。

夜になり、日本の母から電話がかかってきた。
「もう(猫)いるの?」
「いるよ。さっきから私にすりすりしてるの」
「名前はもう決めたの?」
「ううん、まだ。おじいちゃんたちはミッキーって呼んでるんだけど、私はあんまり好きじゃなくて…。」
「あら、それじゃネズミじゃないの。男の子、女の子どっちよ?」
実は、身近に見た猫といえば両親の飼っていたメス猫くらいだったので、私はオスとメスの見分け方すら知らなかった。
「わかんない。オスのアレって、どれくらいの大きさなの?」
「オスは見りゃわかるよ」
ふと、猫が床に横たわった。
「あ、コロンした」
「じゃあ、(オスかメスか)わかるでしょ」
私は猫の尻尾を持ち上げた。
「ないよ」
「じゃあ、女の子だ。ミニーちゃんじゃない」
猫はずっと私に体を摺り寄せては床に横たわりを繰り返していた。
「あ、またコロンした。あはは、可愛い」
「あんた、メロメロになっちゃってんじゃないの。ま、せいぜいお幸せに」
そう言って母は電話を切った。

その夜、私はベッドルームのドアを締め切って寝た。外から入ってきたばかりの猫で、体に蚤がついていることが心配だったのである。猫は、「入れてくれ〜」と言わんばかりに、ドアをがりがりしながら一晩中鳴き続けていた。お陰で私も眠れなかった。

翌日、私は猫を病院にに検診及びワクチン接種に連れて行った。おじいちゃんがくれた小さなキャリーケースに猫を入れようとしたが、これがなかなか入らない。仕方がないので、ペットショップで買った簡易用のダンボールのキャリーケースに猫を入れた。

診察室で、先生は猫の尻尾を持ち上げて言った。
「去勢済みのオスですね」
その後、先生は猫の体を念入りに触診して言った。
「年齢は、1歳半から3歳の間。全体的に健康だけど、ただ一つ。歯茎が少し炎症を起こしていますね。歯磨きは難しいと思うので、今のところは奥歯にペーストを塗るだけで大丈夫です」
その後、先生は「キティキティキティ」と猫をあやしながら、錠剤を飲ませ、注射を数本打った。
「頑張ったね」私は猫に軽くハグをした。

家に帰ると、早速病院で受け取った蚤取りの薬を猫の首根っこにスポットした。これで今夜から安心して同じベッドで眠れる。
翌日、おじいちゃんに診察結果を報告した。
「男の子でしたよ」
「へえ、振る舞いが女の子っぽいと思ってたんだけどな」

その夜、今度は私の方から母に電話を掛けた。
「去勢済みのオスだって」
「そう。じゃあ、名前何にするの?そうだ、ドラえもんなんてどう?」
いや、それはちょっとイメージが違いすぎる。それに、アメリカ人に「でぉらいまぉ〜ん」と変なアクセントで呼ばれるのも嫌だ。

名前をつけるのはあまり得意な方ではないので、かなり迷ったが、おじいちゃんも私も最初は女の子だと思ったほど線の細いイメージから、あまり男らしい名前は似合わないような気がした。
世界の言葉で「猫」を何というかをリストしたサイトを見つけ、その中から可愛い呼び名を探そうと試みたが、これだけ愛らしい動物であるにも拘らず、スペイン語の「ガト」ドイツ語の「カット」など、案外可愛い呼び方は少なく、なかなか気に入ったものが見つからなかった。その中で、フランス語の「Minou」は響きも可愛らしくて気に入った。後で知ったのだが、ピカソの愛猫も同じ名前だったらしい。

こうして、みぬと私の幸せな日々は始まった。



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