インスリン用量設定の注意点




猫の血糖値の正常範囲は50-150mg/dLとされています(病院によって異なる)。
但し、猫は興奮すると、糖尿病ではなくても容易に血糖値が200から300mg/dLまで上がってしまうこともあり、また猫は高血糖に対する閾値が高く、300mg/dLを越えるまで糖が尿に漏れず、症状が出ない場合もあります。

インスリン治療の最初の目標は、まず多尿多飲など猫にとって不快な症状を取り除くこと。その後で徐々に血糖値も正常範囲に近づくよう調節していきます。
高い血糖値が長く続くと、確かに飼い主としては不安になります。でも、インスリンは沢山与えればいいというものではありません。特に、ご自宅で血糖値測定をされている方が、自己判断でインスリン用量を変更する際には、以下のことを頭においておきましょう。

低血糖:その名のとおり、血糖値が下がりすぎた状態。放っておくと命に関わるので早急な対処が必要。
ソモギー効果:インスリンを与え過ぎることによって起こる高血糖。リバウンドともいわれる。
暁現象:明け方、体が目覚める前に血糖値が高くなる現象。
インスリン抵抗性:インスリンを増量してもなかなか血糖値が下がらない場合。



低血糖

インスリンの与えすぎにより、血糖値が正常範囲を超えて下がってしまうと、猫は低血糖症状を起こす。
以下の症状が見られたら注意。
また、血糖値が下がって症状が出るまでに時間差があることがあるので、自宅測定で低い値が出たら注意。

−異常な食欲若しくは完全な食欲喪失
−落ち着きが無い
−放心状態になり、反応が鈍る
−失禁する
−異常行動(変な声で鳴く、ぐるぐる回るなど)
−痙攣、癲癇
−意識喪失

症状の程度に応じて、以下の対処を行う。

血糖値は低いが症状が出ていないとき
測定ミスではないことを確認するため再検査し、それでも低ければ、いつものご飯やトリートなど猫の好きな食べ物を食べさせる。食欲が無ければシロップやハチミツを与える。但しシロップやハチミツは急激に血糖値を上げるが、効果は持続しないので、特に長時間作用型のインスリンを使用している場合は注意。
血糖値が下がって症状が出るまで時間差がある場合があるので、上記対処後もしばらく観察を続ける。

軽症の場合
いつものご飯やトリートを食べさせる。食べなければシロップ若しくはハチミツを与える。

中等度の場合
シロップやハチミツをそのまま、若しくは食べ物に混ぜて与える。食欲が無いときは歯茎や口の内側の粘膜に塗りつける。

重症の場合
癲癇や意識喪失を起こしている場合は、即座にシロップやハチミツを与えなければならない。少量ずつ、歯茎や口腔粘膜に指でこすりつけるようにして与える。気道に入らないよう注意。即座に獣医に連絡する。


注意 (2008年7月9日追記)
低血糖発作後の脳神経系のダメージは、低血糖自体より、寧ろその治療のためにグルコースを注射することで血糖値を急激に上げることによって起こるとする報告があります。
ラットにインスリンを投与して低血糖を起こさせた実験では、60分低血糖状態を放置した際より、30分後にグルコースを注射して高血糖状態を起こさせた際の方が、神経に有害作用を及ぼす活性酸素が数倍多く発生したことが報告されています。
1)
また、猫においては、低血糖そのものでは脳への障害が起きず、これに呼吸障害が加わった際、そして更にそれをグルコース注射によって治療した際に脳へのダメージが確認されたとの報告もあります。2)
猫が自分で食べることが出来るなら、なるべくシロップやハチミツは使わない方がいいと思います。尚、低血糖が軽症な場合は猫が異常な空腹感を示しますが、ここで大量に食べさせると、逆に血糖値が一気に跳ね上がってしまう可能性があります(フードスパイク:Food spike)。時間に余裕があれば、30分ごとに、できれば血糖値を測定しながら、大匙2-3杯ずつ食事やトリートを小分けにして与えていくと、急激な血糖値上昇が抑えられます。



ソモギー効果


インスリン過剰により血糖値が急激に下がると、猫の体は危機を感じて、肝臓でグリコーゲンを分解してグルコースを血中に放出し、またアドレナリン、コルチゾン等のホルモンも放出するため、逆に血糖値が上昇する。
すなわち、インスリン治療をしているにもかかわらず血糖値が高いからといって、それがインスリンが少なすぎるからなのか、若しくはインスリンが多すぎてソモギー効果が起きているからなのか、判断が難しいところである。
投与後2時間おきに血糖値を測定してグルコース曲線を作成し、以下の状態が観測されたらソモギー効果を疑う。

−血糖値が急激に下がった後で、急上昇する
−血糖値曲線が不規則に広範囲で変動する


もし、体が長期間にわたり高血糖状態にあれば、肝臓は血糖値が高い状態が正常だと思ってしまっているため、インスリンにより血糖値が急に下がれば、たとえそれが正常値よりまだ高くても、常に高血糖状態を維持しようとグルコースを血中に放出し続けてしまう。

インスリン用量を減らすことにより落ち着くため、用量を減らすことも一つの方法であるが、治療初期段階では6-8時間ごとにに血糖値を測定し、リバウンドが起きそうなところで更にインスリンを追加することで血糖値が低い状態に体を慣れさせるのがよいという意見もあるため(本サイトの
PZI、タイトレギュレーションプロトコル参照)、獣医とよく相談して治療方針を決めることを勧める。
もし用量を減らした場合、血糖値が落ち着くまでには少なくとも3日はかかるので、この段階で高血糖が続いても数日間用量を変更しないで血糖値の変動を観察する。




暁現象

睡眠中は内臓の働きやホルモンの分泌の状態が起床時と異なるため、日中は血糖値のコントロールが上手くいっていても、明け方になると血糖値が高くなってしまうことがある。これには、以下の可能性が示唆されている。

1.眠っている間に、空腹等により血糖値が一度下がり、上記のソモギー効果により血糖値がリバウンドして高くなる。
2.早朝体が活動を始める準備をするに当たり、成長ホルモンやアドレナリン等血糖値を上昇させるホルモンが分泌される。

暁現象は、主に2.の方を指す。健康であれば適量なインスリンが分泌されるため、こうして血中に増えた糖は効率よくエネルギーに変換されるが、糖尿病では血糖値が上昇したままになってしまう。
睡眠中の血糖値の変動の把握は難しいが、インスリンの効果のピークが暁現象が起きる時間の後に来るよう注射の時間帯を調整する、夜中の低血糖を防ぐため寝る前若しくは睡眠中にタイマーつきフィーダーで何か食べさせるなど、ライフスタイルやデータに基づいて工夫することを勧める。
(因みに、みぬの場合は夜8時若しくは9時にPZIを注射をすると暁現象で翌朝の血糖値が高くなってしまいますが、11時若しくは0時に注射すると翌朝理想的な血糖値になります。)




インスリン抵抗性

インスリンを増量し続けても、血糖値がなかなか下がらない場合もある。以下がよくある原因である。どうしてもインスリンが効かない場合は、糖尿病以外の疾患が無いかどうか検査し、原因を特定する必要がある。

1.インスリン抗体の産生
特に、他の動物由来のインスリンを注射した場合、体がそのインスリンを異物と認識して、抗体を作ってしまう。猫のインスリンには、現在入手可能なインスリンの中では牛由来のものが最も構造が近いため、牛由来のインスリンを使用することで抗体産生の可能性を減らすことができる。

2.原疾患がある場合
1)アクロメガリー:
最近糖尿病猫にこの原疾患が診断されるケースが増えている。アクロメガリーは、脳下垂体の腫瘍により成長ホルモンが過剰に分泌される疾患で、この成長ホルモンがインスリンの効果を下げてしまう。以前は稀な疾患でオス猫特有だと考えられていたが、実際はメス猫でも報告されている。一日に20単位以上の多量のインスリンでコントロールされている猫もいる。血糖値がコントロールされていないにも拘らず、猫が太ってきた場合には注意。

2)甲状腺機能亢進症:
甲状腺ホルモンも、血糖値のコントロールを妨げることが知られている。

3)クッシング症候群:
犬でインスリン抵抗性を上げる疾患として知られているが、猫では稀である。





参考資料
1) Sang Won Suh, et al., Hypoglycemic Neuronal Death is Triggered by Glucose Reperfusion and Activation of Neuronal NADPH Oxidase; The Journal of Clinical Investigation, 117(4), 910-918, 2007
2) de Courten-Myers GM, et al., Hypoglycemic brain injury: potentiation from respiratory depression and injury aggravation from hyperglycemic treatment overshoots; J Cereb Blood Flow Metab. 20(1), 82-92, 2000





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